夏の日の終わりに

魔法の絨毯

 年末年始が忙しいのは日本人の常だ。しかし今年は例年以上に我が家はごった返していた。

 祖父の葬儀と初七日。あまりにも慌しくて、実はこの時のことはよく覚えていない。ただ、ペロが前足に頭を乗せたまま、まんじりともせずに悲しい表情をしていたことだけは覚えている。

 暗い年の初め、これほど正月番組がつまらないと思ったことはない。見るともなしに、ひっきりなしに笑い声を上げるテレビを眺めて過ごしていた。


 そんな正月が過ぎた頃、一転して喜ばしいことが僕の身に起こる。

「そのまま手を離してみろ」

 外来患者もまばらなリハビリ室。そこで僕のリハビリは終了間近を迎えていた。両脇の手すりから離された手が宙に浮く。震える足は頼りないが、僕は自分の脚だけで確かに立っていた。

「そのまま歩いて見ろ」

 まるで見えているように指示を出すハゲ……いや、先生。その声はいつもと違って優しかった。

 僕は言われるままに右足を前に出す。しかしその足はなかなか踏み出せなかった。

 歩くということは、一瞬片足に全体重を乗せなければならないのだ。その重みに耐えられるのか、僕は戸惑いを隠せなかった。

 それでも恐る恐る足を上げる。徐々に左足の負担は大きくなるが、そこに痛みはなかった。

 踏み出した一歩。

 それは心もとない小さな一歩だったが、僕にとっては今までの人生で最も大きな一歩だった。

「歩けた!」

 思わず洩らした歓喜の声。

「おう、歩けたか」

 その声に呼応するかのように、先生は感慨深げにそう言った。

(もう一歩……)

 今度は左足を踏み出して前に進む。浮いたかかとが再び床を踏みしめた。

「おい、歩けるって!」

「そうか、歩けるか!」

 どれほどこの時を待ち望んだろう。何度歩いて回る夢を見たことだろう。しかしそれは目が覚めるたびに幻想だったのだと打ちのめされてきた。

 しかしいま、現実に歩いている。そのことは僕を狂喜させた。
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