夏の日の終わりに
 普段は観光客の車で賑わう海の中を走る一本道だが、平日のしかも雨であれば通る車も疎らだ。しかしそれは車を停めるには都合が良かった。

 少し明るさを取り戻した空が、波間にわずかな光を反射させている。

 しかし、しばらく海を眺めていた理子からは、再び元気が失われていく。そして独り言のように洩らした。

「あたし、もう花火大会には行けないのかなあ?」

 初めて口にした弱気な言葉だ。僕はそれを聞きたくない。

(治るという信念さえあれば……)

 それが失われれば、坂道を転がるように簡単に病魔に負けてしまいそうで怖かった。

「なに言ってんだよ……弱気になるなよ」

 その言葉を受け止めた理子は、海を見ながら小さく肩を震わせていた。何も答えず、何も語らず……

「な。頑張れば──」

 その時、振り返った理子の思いつめた顔に、僕は言葉を呑む。

 目にはすでに溢れんばかりの涙が満たされ、そして表情が崩れた──


「あたし、死にたくないよ!」


 それは悲痛な叫びだった。

 三年にも及ぶ闘病生活で、小さな少女は身も心も限界まで消耗していた。その苦悩と悲しみと恐怖が、その一言に込められていた。

 胸が引き裂かれそうなほど痛む。しかし僕はそれを受け止めなければならない。

「馬鹿言うなよ。治るって……絶対」

「だって藍ちゃんとあたし同じ病気だったのに、そんな事分かんないじゃない!」


 その事実を知らなかった僕は愕然とした。


「あたしもあんなになって死んじゃうのかな? あたし嫌だよ。死にたくないよ!」

 ずっと見てきたのだ、藍ちゃんが死んで行く様を。


(そうか……そうだったのか……)


 一気に吐き出した理子はそのまま子供のように泣いた。

 どれだけ苦しんできたのか、どれだけ怖かったのか僕には分かってあげられないだろう。

 今の僕に出来ることは、その涙を止めてやることしかなかった。
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