夏の日の終わりに
 診察台の上で苦しげな姿を晒すペロを見て、僕は死への恐怖を感じていた。

 甘い幻想でごまかすことは出来ない。生と死の境界線を間近で見ている僕には、その現実を受け取ることしか出来なかった。

「フィラリアってのは蚊から感染する寄生虫なんですが、大きく成長しているし数が多いです。恐らく何年も前から感染していますね」

 それは僕の責任だった。もっと早くから予防していれば良かったのだ。もっと小さなサインを見逃さないようにしていれば良かったのだ。

(また俺のせいだ……)

 僕はどれだけ命を無責任に左右すれば気が済むのだろう。


 家に帰るとペロを抱えて玄関を上がる。その時、愛犬は残る力で抵抗を見せた。

 子犬の時、何度も家に上がり込むペロを僕はそのたびに叱った。そしていつからか自分は家に上がってはいけないのだと理解したのだった。

 こんな時にでも、そのことにペロは忠実だった。

「いいんだって、こんな時は」

 それでも必死に僕の手を逃れて玄関から出て行こうとする。もうそんな力は残ってないと思っていたのに。

「ペロ、いいんだって!」

 その姿があまりにもけなげだった。犬というのはどれだけ人間に忠実なのだろうか?


 僕は祖父の部屋に毛布を敷くと、そこにペロを寝かせた。

 苦しげな呼吸で腹水の溜まった腹が収縮している。僕はそばに座ってその顔を間近で眺めた。


 飼っているという自覚はない。家族の一員というしか言い表せない。

 どれだけこの犬に僕らは助けられただろうか。


 遠い昔の夕暮れ時、親に怒られて家を追い出された僕はこのまま家を飛び出そうと歩き出した。そのあとをいつまでもペロは追いかけてきて離れようとはしなかった。

 剣道の練習に行くと帰りに僕の靴が一足無くなっていた。片足裸足で帰ってくると、ペロは嬉しそうにその片方の靴をくわえて駆け寄ってきて僕を苦笑させた。

 家族で喧嘩が起こると、滅多に吼えないペロがひと声吼え、その場を収めた。

 
 そんな思い出ばかりが頭に浮かんでゆく中、ペロの容態はさらに悪化していった。

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