夏の日の終わりに
 それからのことは良く覚えていない。心が空虚でなにもかもが素通りしてゆくようだ。

 家に帰って、恐らくは風呂に入り食事をして着替えを済ませたのだろう。いま制服を着て理子の祭壇の前に座っているということはそういうことだ。

 懐かしいかつての入院仲間が次々と訪れては声を掛けてくる。しかし僕は虚ろに答えるだけで誰の声も耳に届かない。

 誰もが涙を隠さずに泣いていた。その中で僕はじっと祭壇に飾られた理子を眺めていた。

 その中でかすかに記憶にあるのは「理子は涙ひとつ見せないで頑張ってた」と、理子を知る人たちの多くがそう語っていたことだ。


 通夜が執り行われ、やがて多くの人が一旦家路に着いた真夜中、僕は急に寂しくなった部屋でようやく体を動かした。

 一歩一歩、祭壇に足を運ぶ。認めたくない事実を受け入れるためじゃない。ただ、理子の最後の姿を見てあげるのは最後の勤めだと思ったからだ。

 そっと棺の中を覗くと、そこには初めて薄化粧を施した理子の姿があった。

 こんなに可愛かったのかと、僕は改めてその見慣れた顔に見とれた。同時に愛おしさが胸を満たし、僕はずっとその場で二人の時間を過ごす。

 甦る二人の思い出を辿り、二人で交わした言葉のひとつひとつを噛み締める。その中に一際輝く記憶が頭に浮かんだ。

(そうだ)

 ようやく腰をあげると、二階に続く階段へ足をかけた。その先は生涯忘れられない思い出が詰まった理子の部屋だ。

 踏み入れたそこは綺麗にシーツを掛けられたベッドが寂しげに置いてあった。あの日、確かに僕は理子とここで愛し合っていた。その記憶が今はやけに遠い昔のように感じられる。

 そのベッドに腰掛け、部屋をぐるりと見渡す。

 そのとき、ふと机の上に目が行った。そこには見たことのある本が立てかけてある。

(あれって……確か)

 理子から何度が取り上げようとして怒られたことがある。そう、いつも書いていた日記だ。かたくなに抵抗する姿が面白くてちょっかいを出していたが、考えてみれば当然のことだ。

< 153 / 156 >

この作品をシェア

pagetop