夏の日の終わりに
 いったん伸ばした手を引っ込めたが、僕の知らない理子がそこにいるように思えてそれを手に取った。

(こんな可愛い字だったんだな)

 僕は少し笑って、パラパラとページをめくる。偶然開いたそこは、随分と以前の日付だ。そう、僕と出会うずっと前のものだった。


『"Krebs"ってカルテに書いてあった。

 図書館で調べたらガンって書いてあるし、骨腫瘍にはガンとそうじゃないものがあるみたいだけど、あたしのは骨とか筋肉に出来るガンみたい。

 なんでそんなのがあたしにできたんだろ。

 すごいショックで死にそうだよ。死にそうじゃなくて死ぬのかな? なんか悪いことしたのかな?

 怖いよ。ヤダヤダヤダ、死にたくないよ。怖いよ──』


 初めて目にする衝撃の真実。次の瞬間、虚無だった胸に突然感情が甦った。


 日記を手にしたまま部屋を飛び出すと階段を駆け下りる。わずかに残った弔問客が怪訝な目を向ける中、玄関を抜けて車の中へ駆け込んだ。

 力の限りハンドルを握り締めると、僕はそこに頭を打ち付ける。


(お前、知ってたのか!)


 胸の奥にしまい込んでいた感情が噴き出すようにして喉を突き上げた。


(知っててあんなに笑っていたのか!)


 僕と出逢った時にはもう理子は自分の病気のことを知っていた。藍ちゃんの死を目前にして、僕に気楽とからかわれながら、ずっと独りで闘っていたのだ。

「うあああー!」

 僕の魂が悲鳴をあげた。それは言葉にはならない、ただ感情を吐き出すように叫び声となって現れた。

 そうでもしないと心が壊れてしまいそうだ。

 とめどなく湧いて出る悲しみが涙をあふれさせ、僕は声を上げてただ泣いた。

(ホントは泣きたかったんだな! お前はずっと……)

 ずっと耐えてきたのだ。こんな風に泣きたかったはずだ。胸のうちを全て吐き出して泣きたかったはずだ。

 どうして僕はあのとき涙を止めようとしたのだろうか。気の済むまで抱きしめて、そして泣かせてやればよかったはずだ。

 自信がなくても、それを受け止めてあげなくてはならなかった。

(今頃そんなことに気づくなんて!)

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