夏の日の終わりに
 僕の右手はアクセルを離す事を拒んだままだった。その暴挙をあざ笑うかのように、対向車のワゴンはふらりと右に進行方向を変えた。

 急速、という表現は適切じゃない。まさに瞬間──

 目の前に立ちふさがるワゴン車。体を貫く戦慄。心臓は鷲掴みにされたように縮み上がり、僕は目を見開いた。
 
 本能が間髪入れずブレーキレバーを引き絞り、そして離し際左へと車体を倒しこむ。

 思考じゃない。乗り込んで覚えこんだ体が回避運動を行っていた。

 すぐ右前方、膝が擦れるほどの位置。フロントウィンドウ越しのドライバーは驚きの顔をガクンと揺らし、遅すぎるブレーキを踏んでいる。そしてそれは視界の端から一瞬で過ぎ去った。


 ワゴン車を回避しただけで危機が去ったわけじゃない。
 

 時速100kmを超えた愛車は、今度は歩道へ猛然と突っ込んでゆく。

 その慣性重量は10数トンをはるかに超える。それだけの力量をコントロールできるかどうか、恐怖に縛られた頭でそんなところまで考える余裕は全く、ない。

──次は右へ。
 
 かろうじてコントロール下に繋ぎとめている車体を切り返そうと、ステア操作と体重移動を始める。しかしその瞬間、路面を捉えているはずのタイヤは急激にグリップを失った。

(浮き砂!)
 
 遠心力を感じていた体から重力が解き放たれる。コントロールを失ったバイクは猛烈なスピードで縁石に乗り上げた。

 激しいショックがステアから突き上げるように伝わる。ステップに踏ん張っていた足が宙に浮き、視界が捉える景色は焦点の定まらない流動的な模様へと変化した。
 

 
 そしてそこからの記憶は飛んでいる。


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