夏の日の終わりに
 その心配もリハビリが始まるという喜びを前にしてはすぐにかき消された。

 ひとしきり説明を受けると、膝裏に通されたロープを滑車を通して引っ張る。そうして膝を持ち上げ、少しずつ曲げる訓練をするというものだった。

「いいですか、引っ張りますよ」

 まずは林医師がロープにじわりと力を込める。

 僕の頭の中にはこれから始まる復活へのビジョンが次々と浮かんでいた。すぐに脚は回復し、車椅子もすぐに卒業。驚く医師をよそに外を駆け回る、その中に苦難などはひとかけらも見当たらない。

 しかし──

「痛ってえ!」

 その激痛に思わず顔が歪む。しかめっ面で林医師を見やると、いつぞやチラリと見せた含みのある笑いを浮かべていた。

(もしかして、これが……)

 再びロープに力が込められ、僕はのけぞって苦悶の声を洩らした。

 幻想を取り去った『リハビリ』。それは僕の想像を遥かに超えたものだった。



 説明すれば、長いこと動かさなかった筋は関節に癒着してしまうのだそうだ。僕の場合はそれに加えて大量の内出血を伴っていたため、その癒着は激しかった。

 それを無理やり引き剥がすことから始まる。当然膝にはぶちぶちと肉がちぎれる感触と共に、身を裂かれるような痛みが走った。

(だめだ、力を入れられない)

 脂汗を流しながらジワジワとしかロープを引っ張らない僕を、理子はじっと眺めていた。林医師が帰ってもその場を離れようとしない。

 しばらく静かな病室で微かにうなり声だけを上げていたが、ふと理子の声が耳に入った。

「ねえ、脩君って美香姉ちゃんのこと好きだったでしょ」

 突然の質問に僕は思わずロープを取り落とした。そして慌ててそれを否定する。そのセリフは噛み噛みで、うまく舌を流れていかない。

「そ、そんなこと無いってば」

「嘘ばっかり!」

 少し語気を強めてそう言うと、腕をロープに伸ばす理子。一瞬反応できない僕をよそに、そのロープを思い切り引き上げた。

 ほんの数センチ上げるだけで脂汗がどっと吹き出すほどだったのだ。当然僕の悲鳴が廊下まで響き渡った。
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