夏の日の終わりに
 外に出るのは初めてのことだ。当然理子の部屋がどこにあるのかすら知らない。

 ひとつひとつ部屋に掲げてある名札を見ながら廊下を進むと、さほど離れてない病室の入り口に、理子の名前を見つけた。

 理子の驚く顔を想像するだけで顔が緩む。きっと奇声を上げて驚くことだろう。

 そして一緒に外に出れるようになったら──と、いくつも二人で積み上げてきた約束が頭をよぎる。その約束を果たせることに大喜びする姿が目に浮かんだ。

 入り口から中をうかがうと、そこに理子の姿は見当たらなかった。いや、ひとつだけカーテンで仕切られたベッドがある。そこが理子のベッドかもしれない。

(中に入ってみようか……な)

 さすがに女性部屋に男が入るのは躊躇する。それにもしかしたら着替え中かも知れないし、プライベートな問題もあるだろう。

 そうしてモジモジしていると、突然背中から声が響いた。

「脩君?」

 突然名前を呼ばれたことに首をすくませる。そしておずおずと首を後ろに回すと、そこには一人の中年女性が微笑みながら立っていた。




「ごめんね、さっき注射打ったところだから、気分悪くて寝てるのよ」

 その女性は理子の母親だった。

 僕らはそのまま談話室へと足を運ぶと、奢ってもらったジュースのプルタブを開けた。

 しげしげと眺めるてみると、ウチの母親とは随分と違う。

 細身でスタイリッシュ。黒でまとめられたセンスの良い服や、上品な化粧。決して若くは見えないが、しかし年相応な美人と言えた。

(若い頃はモテたろうなー?)

 その母親は、高校生の僕でも感心するほどカッコ良い。

「よく僕が分かりましたね?」

「いやね、あの子が脩君の話ばっかりするもんだからさ、どんな子か気になって一度覗きに行った事があるのよ。ごめんねー」

 ハスキーな声とリズム感のよい喋りが会話を弾ませる。これだけの年の差があっても会話が楽しいと感じることは今までなかったが、べつだんそれを不思議に思わせないほど巧みな話術だ。

 自然と話は長引き、その中で理子の家庭の事情なども話題に上がった。
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