夏の日の終わりに
 回診の朝、医師らが病室に入ってくる。まだ寝ていたい僕は、半開きの目をうつろに泳がせていた。

 その医師らの間から松阪さんの顔が見える。

(おっ)

 このところ雑談に講じる彼女とは急速に仲が良くなっていると感じていた。僕の中では、看護師の中にあって彼女は特別な位置にいる。

 その彼女がふっと僕に顔を向けた。

 思わず吸い寄せられるように視線を向けると、そこにはウィンクを投げかけてくる悪戯な天使がいた。


 まさに一撃必殺。


 どんなに強い酒をあおってもこれほど顔が火照ることはないだろう。文字通りイチコロだ──



 その回診が終わったあとも、その余韻は胸にくすぶっていた。

「……で、景色も良いんだってば」

「……」

「ちょっと、脩君!」

「え?」

 理子の声に慌てて現実に引き戻される。夢から醒めたような僕の顔を、理子は少しすねたような顔で見上げた。

「聞いてる?」

「……うん」

「じゃあどこの話してた?」

「えっと……」

「ほら聞いてない!」

 ベッドの脇で理子はそっぽを向いた。

「ごめんごめん。ちょっと考え事してただけだって」

 それでも理子は顔を背けたまま、こちらを向こうとはしない。僕は周囲をすばやく確認し、誰も見ていないことを確認するとその頬に軽く唇をつけた。

「──っ!」

 驚いて思わず振り向いた理子の唇に、もう一度唇を重ねる。

 それは短いものだったが、理子の機嫌をなおすには十分だったようだ。照れた笑みを浮かべると、頬をこすって「へへへ」と笑った。

 そんな理子のしぐさに胸がチクリを痛む。

 そのちょっとした罪悪感を償うように、理子の話を促した。
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