夏の日の終わりに
「ねえ、屋上に行こうよ」

「屋上? そんなとこ行けるの?」

「うん、松葉杖なら行けるよ」

 車椅子に乗るようになってからは、この病院が広いとはいえ、すでに行きつくしたと思っていた。そんなところがあったとは盲点だ。

「階段で上がらないといけないからね」

 早速杖を車椅子の後ろに積むと、連れ立ってエレベーターで最上階へ上がる。そこから目立たない一角に入ると、上へと続く階段があった。

 階段に足を踏み入れるのは初めてだ。まだ杖をつくようになって日が浅いこともあり、転落の恐怖と闘いながら恐る恐る登ってゆく。

 患者の付き添いの人だろうか? 途中、洗濯物を抱えた中年女性とすれ違う。入院患者の洗濯物を干す場にもなっているようだ。

 そこを登りきると、鉄の扉がある。それを開けると、眩しい光が目を射した。

(空だ……)

 院内の澱んだ空気とは違う、小春日和の澄んだ空気が鼻を通る。少し強い風が気持ちよかった。

 青い空に切れ切れの雲がぽつりぽつりと浮いている。

 洗濯物を掻き分けて柵に寄ると、眼下に街並みが広がった。マンションが立ち並ぶその奥には都市高速道路が走り、さらにその向こうには青い海がたたずんでいる。

「気持ち良いな」

 しばらく春の風が頬を撫でるにまかせ、その景色に見とれていた。

「ねえ、脩君の家ってここから見える?」

「う~ん、見えないね。でもあそこに海が見えるだろ? あのちょっとこっちらへん」

 理子の質問に答えながらその方角を指差す。

「あそこらへん?」

「んー、もちょっとこっち」

「ふーん、行ってみたいなー、脩君の家」

「うん、おいでよ。退院したらいつでもこれるじゃん」

「うん、そうだね」

 時折みせる憂いの表情を垣間見せた。

「すぐ出来るって」

「うん」

 気を取り直したように笑うと、力強く返事を返す。そのけなげさが理子の優しいところだった。

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