夏の日の終わりに
「ダメっ!」

 その声は僕の足を止めるに十分の大きさだった。

「絶対許さん」

 僕は憮然と言い放ち、再び追いかけ始める。

「ダメだって、やめてよ」

 追いかけてくる理子に僕は答えなかった。

「やめて、いい加減にしてよ!」

 ついにTシャツを掴んで歩みを阻止すると、僕を振り向かせた。

「今日は花火を見るの、楽しく見るの。あたしは平気だから、そんな小さい事に怒らないでよ。せっかく二人で居るのに、そんなんじゃ台無しだよ!」

 理子に怒られるのは初めての経験だ。僕は驚きとともに萎縮するほどのショックを受けていた。それほどその言葉には力がこもっていた。

「ね、早く行こう」

「うん……」

 納得したわけじゃなかったが、そのまま押し切られた格好で僕らは電車に乗った。


 列車は郊外の単線を走っている。僕は少し眠たくて、ウトウトと首を何度も横へ倒しては起こしていた。

 そんな眠気を覚ますように理子が僕を揺り起こす。

「海、ねえ見て。脩君、海だよ!」

 その黄色い声は僕の鼓膜に突き刺さった。

「海って……家の近くがすぐ海なんだぜ。そんなん毎日見てるよ」

「あたしは久しぶりだもん、海見るの」

 理子は海に特別な感情を持っているのだろうか?

(そう言えば……)

 理子の家で見たアルバムの中に、唯一父親の写真が一枚あるのを見せてもらったことがある。その写真は、水着姿の幼い理子を、波打ち際で抱きかかえている写真だった。

 その理子と父親の幸せそうな表情から、二人が別れて暮らすようになるなど想像も出来ない。

(人の人生って…)

 理子はキラキラと目を輝かせながら、まだ海に魅入っている。

(いつどこでどう変わるか……分かったもんじゃねえなあ)

 その視線を手元に落とすと、両腕に抱えた僕の松葉杖があった。僕もまた、人生がどう転がるか分かったもんじゃない。
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