夏の日の終わりに
「もう老い先短いしな。手術なんぞすることいらんわい!」

 頑として入院を拒否していた祖父を動かしたのは「じいちゃん、俺の子供見るまで死ぬなよ」の一言だ。

 それは大好きだった祖母の口癖だった──

「脩ちゃんの子供見るまで死なないからね」

 いつもそんなことを言っていた優しい祖母は、しかし一昨年突然他界してしまった。とにかく悲しくて仕方がなかった僕は、その時一週間泣き続けた。

(もうあんな思いは嫌だ……)



 第二外科。それがこの病棟の名前だ。
 
 普通の外科と違うところは、ここの入院患者はほとんど皆癌患者だという事だ。昨日まで生きてた人が翌日にはもう居ない、なんてことは日常茶飯時で、整形外科に較べると一様に患者に死の影が付き纏っているように感じられた。

 カーテンを閉め切った同室の患者が激しく嘔吐している。その苦しげな呼吸と喘ぎは、祖父にも聞こえているはずだ。

「苦しそうだな」

 ポツリと洩らした言葉に、隣の患者が説明を始めた。

「抗がん剤の副作用だよ。死んだほうがマシに思える」

 すっかり頭髪の抜けた頭とこけた頬。一瞬骸骨と見まがうような患者が、他人事のように話しながら付け加えてこう言った。

「俺も明日は投与だからな……」

 明日の自分の姿をそこに見ているのだろう。そこには生への欲求よりも投与への恐怖が上回っているように思えた。

(生気がない……)

 そんな患者に囲まれている祖父を仲間にさせるわけにはいかない。しかしこちらは半分の確率で助かるのだ。僕にとって半分と言うのは100パーセントに近いと思っている。治るという信念さえあれば治る──

 それは僕が証明していると思っていた。
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