縁隔操作（えんかくそうさ）

　おっと、いけね。そんな偉そうな学者さんに会いに行くんだから、ちゃんと学校指定のコート着ねえと。俺は二階の物干し台にぶら下げてあるコートを取りに出た。そして、あの子と目があった。
　俺の隣の家は同じ一戸建てでも結構でかいお屋敷風で、二階の部屋に広いバルコニーが付いている。そこに車椅子に乗った彼女がいた。薄いピンクの裾の長いワンピースを着て緑色の厚いカーデガンを羽織って、冬の空を眺めていたんだろう。俺に気づくと彼女は無言で小さくペコリと頭を下げてにっこりほほ笑んだ。
　俺はコートを物干し竿からはずしながら無言で会釈を返す。そして……それだけだ。髪の長い、肌が白い、細っこい体の、とてもきれいな女の子だ。多分俺と変わらない年だろう。十年前の東北関東大震災で大けがをして、それからずっと車椅子生活なんだそうだ。三か月ほど前に、彼女の治療のためにこの街へ引っ越して来たらしい。
　お隣さんの家は由利という苗字なんだが、あまり人づきあいはしないようで、俺は彼女の下の名前も知らない。たまにこうして顔を合わせるとお互いに会釈を交わすだけで、言葉を交わした事もない。
　でもなぜだか、彼女の姿を見かける度に俺はなんとなく胸がどきどきする。俺はコートを羽織って担任から言われた場所へ向かうべく家を出た。
　そこは全国的、いや世界的に有名な研究機関だって事だが、何の変哲もない灰色のビルがあるだけだった。「研究学園」なんてご大層な名前のついた駅の近くだから、ＳＦアニメに出て来るような超未来的な建物があっちこっちにおっ立ってると勘違いしているよそ者が多いんだが、むやみやたらとだだっ広い敷地にところどころ、どうって事のないビルがあるだけの場所だ。