白頭山の残光
「共和国の北の果て、中国との国境にまたがる、白頭山(ペクトゥサン)という山がある。2011年には、金日成主席の抗日ゲリラ基地だとか金正日将軍生誕の地だとかいう事にされているが、本来は檀君と言う朝鮮民族の祖先である国王の生誕の地として信仰されてきた。だから、共和国人民だけでなく、南朝鮮の人民と在日同胞にとっても聖なる土地だ。頂上は大きなカルデラ湖になっていてね。俺は学生時代、その山頂でキャンプをした事がある。その頂上から見た沈む夕陽はとても美しかった。陽の光が消える寸前の残光……俺はこの世で一番美しい光景だと思っている」
 そしてソンジョンは美里とソナにきりっと敬礼をしながら言葉を続けた。
「今の金日成主席はまさに沈もうとしている太陽だ。その残光が残っているうちに共和国の人民を救わなければならない。未来に戻ってもし歴史が変わっていたら、二人で白頭山へ、その景色を見に行ってくれ」
 美里の目から涙が頬をつたってこぼれ落ちた。ソンジョンの顔はかすかに微笑さえ浮かべていた。これが、これから死にに行こうという人間に浮かべられる表情なのだろうか?命を捨てに行く者が、こんなに穏やかで優しい顔をしていられるものなのだろうか?
 ソンジョンはくるりと体の向きを変え、寸分も迷う事のない断固たる足取りでゴムボートへ向かって歩き出した。じっと下を向いていたソナが、意を決したように顔を上げた。そして次の瞬間、美里のすぐ横でパンという鋭い轟音が響いた。
 それはソナの手の中の拳銃から出た音だった。そして10メートルほど進んでいたソンジョンの体がぐらっと揺れ、彼は地面に膝をついた。何が起きたのか美里には分からなかった。
 ソナがソンジョンを撃ったのだ、という事実を理解するまで数秒かかった。
「ソナ……何故だ……」
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