炭坑の子供たち(2)
炭鉱町の小学校
幼稚園
小学校に入る前に
ボタ山の下にあった、松原幼稚園に、2年間通う事となる。
木造平屋の細長い建物で、隣りに診療所があったので
園児が急に熱を出しても、直ぐ間に合う様にはなっていたが
熱を出す様な、ひ弱な子はいなかった。
炭坑の会社が、やっているのだから、勿論保育料はタダ
したがって、ワルガキのハナタレ小僧が、ゴロゴロと来ていた。
昼食は、ご飯だけ、弁当箱に詰めて、持って行けば
おかずは、幼稚園で用意してくれたが
やたらと、めざしばかりが多くて
正午近くになると、10個程七輪を並べて、保母さん達が焼いているのを
窓から、見物しながら
「又めざしばい」
と、ガッカリとしていた。
時たま、ミリン干しのイワシが出て、少し嬉しく
最も嬉しかったのは、「たいのまこ」と呼んでいた、焼き明太子である。
ボタ山の下にあった、松原幼稚園に、2年間通う事となる。
木造平屋の細長い建物で、隣りに診療所があったので
園児が急に熱を出しても、直ぐ間に合う様にはなっていたが
熱を出す様な、ひ弱な子はいなかった。
炭坑の会社が、やっているのだから、勿論保育料はタダ
したがって、ワルガキのハナタレ小僧が、ゴロゴロと来ていた。
昼食は、ご飯だけ、弁当箱に詰めて、持って行けば
おかずは、幼稚園で用意してくれたが
やたらと、めざしばかりが多くて
正午近くになると、10個程七輪を並べて、保母さん達が焼いているのを
窓から、見物しながら
「又めざしばい」
と、ガッカリとしていた。
時たま、ミリン干しのイワシが出て、少し嬉しく
最も嬉しかったのは、「たいのまこ」と呼んでいた、焼き明太子である。