冬うらら~猫と起爆スイッチ~
□95
 上着もなし。

 財布もなし。

 幸いバイクの鍵は、玄関のところに置いていた。

 それから、ガレージにはバイクに乗るための上着を置いていた。

 これ以上、冷静にあの家にいられないと分かった彼は、そのままバイクのエンジンをかけてしまったのだ。

 そのまますっ飛ばす。

 行くアテがあるワケではない。

 となると、彼が行けるのは会社くらいだ。

 どうせ、コンピュータのムシである開発部の連中が、数人くらいは来ているに違いないと踏んだのである。

 そこなら、カイトは余裕で時間がつぶせるハズだった。
 オモチャがいっぱいあるのだから。

 結果的に休日出勤にしてしまったカイトは、ムカムカしながらキーボードを叩き続けた。

 ソウマもハルコも、本当に何も分かってはいない。

 だから、あんなひやかしの言葉などを投げられるのだ。そんな簡単な問題ではないのに。

 手に入れられるものなら、もうとっくに我慢なんかすっ飛んでいる。

 抱きしめてキスをして、耳を噛んで―― ハッ!

 何気ない例だったはずなのに、頭の中では勝手な妄想が走り回って行く。
 それに気づいて、慌てて追い払う。

 メイも、全然分かっていなかった。

 何が、『がんばります!』だ!

 これを容認してしまったら、彼女を家政婦として扱うことになるのだ。

 労働報酬なんか払いたくなかった。

 くっきりと引かれる上下関係の線。

 そんなものは、欲しくなかった。

 頑張るな!

 ENTERを叩きながら、カイトは画面を睨んだ。

 いや、頑張りたい方向を変えてくれればいいのである。

 その中には、きっとカイトだって容認できるものがたくさんあるはずだった。
 けれども、それがあの家のための労働だと思うと、ひどく苦しくてイヤだったのだ。

 こうしている間に、きっとソウマ夫婦は帰るだろう。

 あの二人がいたら、視線が気になってロクなことが言えない気がした。

 ただでさえ、カイトの口には問題があるというのに、更に輪がかかってしまうのである。

 だから、あのとき怒鳴りを途中でやめたのだ。
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