冬うらら~猫と起爆スイッチ~

「いえ、その…おなかすいちゃって起きてきただけなんです」

 だから、決して仕事をしにきたワケではないのだとアピールしたいらしい。

 それでカイトを騙せると思っているのだ、彼女は。

 たとえどれだけ怒鳴ったとしても、いない時に掃除をするのをやめたりはしないだろう。

 これでは、何のためにハルコを雇っているのか分からない。

 あの女は何やってんだ。

 しかし、いまのハルコにそれを言うことは出来ない。
 しょうがない。彼女は妊婦なのだから。

 ふーっと、もう一回息を吐く。

 メイは、しかし、ぱっと顔を輝かせた。

 ん?

 彼女が何を見たのか分からずに、カイトは眉間に一本シワを刻んだ。

「失礼します…」

 言うなりメイは、手を伸ばしてきた。

「…っ」

 びっくりしてしまったが、すぐに何をされるか分かった。

 彼女の指がネクタイを捕まえたのである。
 瓢箪から駒とはこのことか。

 彼女が言いつけを破って早起きしたおかげで、カイトは今朝一番の欲求を満たすことが出来たのである。

「できました」

 にっこりと微笑むメイに、やっと我に返ることが出来た。

 きっちりと、喉元にネクタイが締まっているのが分かる。

 普通は、これがイヤでイヤでしょうがないのに、いまは全然嫌悪感はなかった。

 その感触を押し殺して、カイトはくるりと背中を向けた。

 一緒にいたいのに、一緒にいると落ち着かない虫が、身体の中を走り回るのだ。

「いってらっしゃい」

 階段を駆け下りる彼に、まだ慣れないその言葉。

 いってきます、などと言えない自分。

 言葉を振り切るように出かけるしかなかった。
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