冬うらら~猫と起爆スイッチ~

 彼の分と一緒に並んでいるそれを、彼女は一つだけそっと取り出した。

 ごめんなさい。

 泥棒みたいだけれども、このカップを一緒に連れて行きたかった。

 ここでの日々を、幻にはしたくなかったのだ。

 マグカップだけを持って、調理場を出て部屋に戻ろうとした時。

 シュウが、階段のところで待っていた。

 何をしているワケでもない。
 明らかに彼女を待っていた様子だ。

 反射的にビクッとして、カップを後ろに隠した。

 咎められて、置いて行かなければならないかと思ったのだ。

「支度が済んだら、私の部屋に来てください」

 しかし、彼はメイの持ち物には興味もないようだった。

 支度。

 メイは分かった。

 きっとカイトが話したのだ。

 夜か朝かは分からないけれども、そのどちらかで。

 もしかしたら、電話かもしれない。

 だから、もう彼は知っているのである。

 何故呼ばれるかは分からなかったが、ここで彼女は思い出すことがあった。

 シュウから本を借りっぱなしだったのである。

 それも返さなければならないので頷くと、カップを隠すように抱いたまま部屋に戻った。

 もうとっくに、支度なんかは済んでいる。

 衣類に包んで割れないように、そのカップを紙袋の中にしまった。

 部屋を見回した。

 来た時と、何も変わっていない。

 昨日までとも、さしたる違いがあるようには見えなかった。

 お金と通帳なんかは、机の引き出しの中である。

 ハルコへの手紙に残したので大丈夫だろう。

 一応、シュウに伝えようかと思った。

 本だけを抱えて、再び階下に降りる。
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