il tablo d'estate

買い物を済ませて、いまだ熱気の残る7月の5時の透明な空の下、自転車を漕ぎ出した。
信号待ちでケータイを取り出すと、着信が一件。
+33から始まる、ミラノ在住の両親からだった。
きっと成績表を見てくれたんだろう?
学校の成績や、あるいは「将来」のことで、
彼らから文句のようなものを言われたことはない。
わたしの人生をコントロールすることに、興味がないんだと思う。
(わたしに興味がない、というわけではない。)
今年は一応、高校生活最後の年で、クラスメイトは皆殆ど、夏休みは塾に連日顔を出しているみたいだ。
勿論、三者面談もあった。
両親は帰って来られないので、代わりに春樹叔父がついてきてくれた。
が、彼もそこまで姪の進路に熱心でないし、質問もどこかあさっての方向で、担任教師もわたしの進路については以来、空気のような接し方だ。
両親がミラノで暮らし始めてから、5年。
家事はヘルパーさんがやってくれるのだが、料理だけを自分ですることにして、やはり5年近い。
他のことはともかく、彼女の作ってくれる料理の味がどうしても私たちに合わなかったのだ。
ただし、気弱かつめんどくさがりの私たち(わたし、そして春樹叔父)には、料理の味に納得できるような代わりのヘルパーさんを新たに雇う、というステップが踏めず、結局は必要に迫られて、わたし自身が料理をすることになった。
やがてその「必要」が高じて、料理はわたしの「趣味」になった。
それまで生きてきて、趣味、なんか持ったことはなくて、そういう新鮮さもあって、わたしの「料理」はどんどんエスカレートしていった。


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