前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―
俺が言葉の意味を知るのはその夜のこと。
すっかり女中のさと子ちゃんと仲良くなった俺はここ最近、夕飯の手伝いをしに厨房に侵入している。
その度に仲居の博紀さんや蘭子さんに見つかってお小言を貰うんだけど、俺の言い訳はこうだ。
「友達の手伝いをしているだけっすから」
それに夕飯の手伝いもできない人間が婚約者だなんて世間様から笑われてしまうじゃないか。
二人を言いくるめては夕飯の手伝いを買って出ている。
今日も料理の盛り付けを手伝っていると「また空さまは」博紀さんに見つかって注意された。
へへっと笑い、サラダの中に入っていたきゅうりをつまみ食い。うん、美味い。和風ドレッシング味。
悪びれた様子もなく厨房に入り浸っている俺に、博紀さんは溜息をついて肩を落とした。
「我々はお給料を頂いているのですよ?」
その分、働かないといけないんです。彼の主張に俺は笑いながら返した。
「俺は居候していますし、その分、恩を返さないといけないんっすよ。あ、そっちの小皿、持っていきます」
「はぁああ。空さまは御堂家を継ぐお方なのですからっ、もっとやるべきことを……っ聞いてませんね?」
博紀さんのお小言を受け流し、俺はさと子ちゃんと料理を運ぶ。
「すみません」微苦笑を零すさと子ちゃんに、「いいんだよ」勉強ばっかりじゃ俺もしんどいから、と笑みを返す。
「仕事の方はうまくいっているみたいだね」
「はい。失敗がグーンと減ったんです。蘭子さんや七瀬さんに褒められちゃって」
まだまだ半人前ですけど、とテレテレの彼女に、俺は良かったねと微笑んだ。
何より好きな人に褒められたことが嬉しかったらしく、「すべて空さまと玲お嬢様のおかげです」此処の暮らしが楽しくなってきた、と言ってくれる。
そっか、良かった良かった。
今度は舞い上がりすぎて失敗しないようにしないとな、さと子ちゃん。
廊下を歩いて大間を目指していると、目的の部屋から悲鳴が聞こえた。
肩を並べて歩いていた俺達は顔を見合わせる。
「今のお声は」「一子さんだ」
料理を零さないように駆け足で大間に飛び込んだ。
目を点にして絶句。思わず持っていた料理を落としそうになる。
さと子ちゃんにいたっては口をパクパクと金魚のように開閉、声という声が出ないようだ。
部屋の柱に縋ってオイオイシクシク泣いているのは一子さん。
着物の袖を食んで悔し泣きをしている。
「ど。どうしてそんなに酷(むご)いことを」
唯一女の子らしいチャームポイントだったのに、と両手で顔を覆い大袈裟に嘆いている。
まるでこの世の終わりを見たようにシクシクシク。
「大袈裟ですよ」
中身は変わっていないのだから、と綻んでいるのは浴衣を着た美少年! ではなく、俺の婚約者。
自分の席に着いて今か今かと夕飯を待っている。
あんなに長かった髪が無残に切られ、バッサバサに跳ねている。
自分で切ったんだろう。切り方が雑だ。胸のふくらみがなければ美少年と間違われてもおかしくない。
皆の反応を余所に、当の本人はより学ランが似合う女になっただろ、と俺にウィンクしてくる。
「王子に近付いたかな?」
花咲く笑顔を向けられたため、俺は呆気取られ、次いで微苦笑を零すしかない。
料理をテーブルに置くと、彼女の隣に腰を下ろした。
「ますます俺の立場ないっすね」
こんなにイケメンになっちゃって、そっと頬を撫でる。
勢いに任せて彼女の膝にのせられた。
目に毒な体勢の出来上がりである。
「決意表明する手っ取り早い方法は髪だと思ったからね。ま、一応僕も女ってことで大切な髪を切ってみた。三ヵ月間、僕も勝負に出る」
すべては三ヶ月で決まる。
三ヵ月後、一体どんな結末が待っているのかは分からないけれど、状況が変わらなかったら、俺は未だに引き摺っている鈴理先輩の気持ちを断とう。そして本気でこの人を好きになってみよう。
セックスは……、どうしよう。
約束しちまったけど、うん、まあその時になって悩むことにしよう。
これが俺が決めたことだ。
鈴理先輩の気持ちを引き摺っていたのは、俺達自身が納得して終わらせた関係じゃないから。
だから何度言い聞かせても想いを断つことができなかった。
でももう違う。今度は俺が決めた。
「勿体無いことしたっすね」
右に左に跳ねている柔らかな髪をわっしゃわっしゃ撫ぜてやると、「またすぐ伸びるさ」気持ち良さそうに彼女が目を細めた。
決意に免じて初めて、俺は自分から彼女の額に唇を落とす。
いつも支えてくれている貴方への、今の俺の気持ちだ。受け取って欲しい。
まあ、額のキスは友情の意味なんっすけどね。
瞠目する俺の王子様は、「君って男は」小っ恥ずかしい奴なんだな、と軽く頬を紅潮して抱きすくめてきた。
この体勢の方がよっぽど恥ずかしいっすよ。
さと子ちゃんは両手で顔を隠しつつ指の間から光景を見てくるし、一子さんだってそこで泣きながら見ているんだから。
取りあえず下ろしてくださいよ、小っ恥ずかしいっす。
そう言っても聞いちゃくれない。
決して俺の体重が軽いわけじゃないのに。
「ちゃんと髪整えないと」これはあんまりっすよ、俺の言葉に、「豊福が整えてくれ」と無茶振りを寄越してきた。
さすがの俺も人の髪を整える技術はない。これは美容師さんにしてもらわないと。
三ヶ月。
そう、すべては三ヶ月で事が終わる(そして始まる)。
泣いても笑ってもこの三ヶ月は怒涛の期間となるだろう。
待ち受けている近未来に想いを寄せながら、俺はもう一度短髪になった婚約者の髪を撫ぜたのだった。
⇒Chapter4