前略、肉食お嬢様②―カノジョな俺は婿養子―
「勿論これは俺の意思であり個人の意見。先輩の意思は反映されていません」
あの人が拒絶すれば、それを受け入れ、この申し出は白紙にしたいと思う。
あくまで俺個人の意見なんだ。
婚約者で居続けたいと思う気持ちも、傍に居たいと思う気持ちも、守りたいと思う気持ちも。
俺が傍に居ることで彼女は幾たびも、辛い思い出を噛み締める羽目になるだろう。
その思いを噛み締めたくないというのならば、俺は黙って身を引きたい。
ただこれからも、先輩には人を好きになることをやめないで欲しい。
繋がりを持つことを恐れないで欲しい。
経験しているからこそ、俺は彼女に訴えたい。
誰かと繋がりを持つということは、本当に素晴らしいことなんだから。
どうか淳蔵さんに屈せず、自分の想いのまま生きて欲しい。俺が彼女に望むことだ。
「俺は御堂先輩の傍で、本当に沢山の幸せを噛み締めました。
挫けた時は支えてもらい、涙した時はその雫をぬぐってもらい、道に迷った時は手を差し伸べてもらいました。
あの人の優しさに何度救われたか。
今度は俺の番です。これは誰かの指図ではなく、俺自身の意思です」
「空くん」
「財閥の婚約者としては未熟な点ばかりです。他の財閥の子息を彼女の婚約者にした方が得でしょう。
けれど、守りたい、傍にいたい気持ちだけは誰にも負けないつもりです。
今の彼女に何も出来ないまま、何もしないまま、見てみぬ振りをして去ることの方が、俺にとって辛いんですよ。源二さん」
それに俺、待っているんです。
あの人が迎えに来ると言ったから、俺は今も待っている。彼女に一言いって欲しい。
「迎えに来たよ。帰ろう」
そう言ってくれる彼女を、待っている。
俺は彼女に言うんですよ。
「やっと迎えに来てくれましたね」
姫は随分と待ちぼうけを食らいましたよ、と。
「御堂先輩。いつまで俺は待てばいいんっすか?」
俺が王子になっていいなら、喜んで姫を迎えに行きますけど。
薄暗い廊下の向こうに目を向ける。
青緑色をした非常口を示す標識の下に立っているのは話題の人物。
俺の帰りが遅いと思い、探しに来たのだろう。
そう時間は経っていないけれど、あの一件以来、何かと過剰反応になっているからな先輩。
迷子の子供のような顔を作っている御堂先輩に、
「俺は今も待ちぼうけっす」
わざと鼻を鳴らした後、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら彼女に歩む。
「今の先輩をひとりにしてやるほど、俺もお人よしじゃないんっすよ。多少拒まれたとしても、俺は傍にいたいと駄々を捏ねます。―――だって貴女が大切だから」
立ち止まって視線を合わせた。
今にも泣き出しそうな面持ちを作る王子に、優しく微笑み、「傍にいてもいいですか?」そっと言葉を紡ぐ。
たっぷり間を置き、彼女は最悪だと嘆いた。
スンスンと鼻を啜り、いつからポジションが逆転したのだと毒づいてくる。
そういう言葉は男ポジションの自分が言うべき台詞だとしゃくり上げ、大粒の涙をぽろぽろ流した。
こっちはいつ、別れ話を切り出されるか冷や冷やしていたのに。
だから口説こうとあれこれ思考をめぐらせていたのに、なんで美味しいところを持っていってしまうのだと悪態をつく彼女。
「しょうがないでしょう?」
王子がいつまで経っても迎えに来てくれないんだから、俺は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「先輩はいつだって俺を大切にしてくれました。その優しさは本物で、過ごした日々も本当だった。
そんな貴方に言いたい。好きになってくれてありがとう。俺は……、貴方を、御堂家を怨んでいませんよ」
刹那、力いっぱい抱擁される。
背に回してきた腕、痛いほど爪が立てられるけれど気付かない振りをした。
ゆっくりと抱き締め返すと、「お願いだから」罵ってくれと懇願される。
まだ責められた方が気が楽だと王子は吐き出すように伝えてきた。
優しさを向けられるほど、傷口が化膿していくのだと彼女は主張する。