狂想曲
ふたりでマンションの下まで降りてきた。
午前5時を過ぎた頃だった。
「ほんと、ありがとう」
私は言った。
「いいから、そういうの」
「でも、今度ちゃんとお礼とか」
「律」
キョウが私の名前を呼んだ。
びくりと肩が跳ねる。
「そこ真っ直ぐ行ったら大通りに出るから。そんで右行ったら多分駅までわかると思うし」
私が言った『今度』が、消えた。
近付けた気になっていたのは、やっぱり私だけだったのだろう。
冷たい何かが心の中心にすとんと落ちた。
「真っ直ぐ帰れよ。で、帰ったら寝ろ」
キョウは腕時計を一瞥する。
私に、早く帰れと遠回しに言っているかのようで。
「じゃあね」
私はそれだけの言葉を残し、きびすを返した。
なぜだか捨てられたような気持ちにさせられて。
けれど、そんな顔を見せたくはなかったから。
青白い空の映る水溜りを、私は避けずに踏んでぐちゃぐちゃにした。