狂想曲
精神疾患だとか、隔離病棟だとか、私にはまったく馴染みのない単語だった。

だからあまりちゃんとは想像できなかった。


キョウは私を一瞥してから煙草を咥えた。



「クスリとかしたら脳が委縮すんじゃん? あれと同じ感じらしいけど。うちのおふくろの場合は、過度のストレスでだって」

「………」

「最初はうつ病、パニック障害から始まって、時間を掛けて進行してった。そんで今はもう自分が誰かもわかってなくて」

「………」

「奇声上げたり、ずっと何か喋ってたり、突然暴れまわったり」


キョウの吐き出す煙が揺れる。

そして悲しそうに、辿り着くべき場所もなく消えていく。



「今日も会いに行ったんだよ。したら、泣くんだよ。泣きながら、『怖い人が来た』って叫ぶの」

「………」

「今まで自分のことはわかんなくても俺のことだけは覚えてたのに。いっつも同じ、ひまわり畑にふたりで行った話を何十回と俺に繰り返し聞かせてたくせに」

「………」

「なのに、もうその唯一の記憶さえ自らで封印しちゃったんだって」


キョウは力なく息を吐く。



「あぁ、俺もうダメだ、ってその時思ったんだ」

「………」

「別におふくろがいつか回復するなんて夢見てたわけじゃないけど、実際に自分が記憶から消されると、結構辛くて」

「………」

「だって俺、あの人の中では“いない存在”なわけじゃん? そしたら何か、ほんとは俺のが消えてんじゃないかとか思ったりして」


徐々に言葉が遅くなっていく。

キョウは吐き出すように言葉にしていた。



「色んなこと考えてたら、あんたに会いたくなって」


なのに私は、キョウが笑う顔の奥に押し込めたものにも気付かず、伸ばされた手を『やめて』と拒んだ。

最低だったと、今更思った。
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