天体観測
部屋に戻り、Tシャツと、ジーンズといういつもの格好に着替えた。部屋の気温はわずか数十分の間に、劇的な変化を遂げていた。世界全体が石油の消費量を少し抑えて、その代替エネルギーに天然ガスを使えば、この部屋の猛烈な暑さは、いくらかマシになるのだろうか。僕はそんなくだらないことを、真剣に考えた。けれど、さすがに答えは出なかった。僕は何かもどかしい思いを抱いたまま、ダイニングに戻った。

ダイニングも、僅かに変化していた。四人掛けのテーブルの席が、一つ空いている。僕が起きて、もう随分経った。けれど、僕の頭は、まだうまく働かなかったらしい。父さんがいないことに気付くのに、三十秒はかかったのだ。

「父さんは?」

「帰ったわよ」

「何処に」

「家に決まってるじゃない」

「父さんの家はここじゃないか」

言ってから、気が付いた。僕はもの凄くバカな勘違いをしていた。僕の脳が、今から五年ほど前に逆行したかのような勘違い。僕は自分自身に悪態をついて、利用者のいなくなった椅子に座った。

「今のは間違い。寝惚けてた」

「でしょうね」

「ところで、何で二人はここにいるの」

ついさっき、母さんが「常識がない」と言った台詞を僕は平気で言った。この二人の常識に付き合っていたら、きっと虫食い算だって解けやしない。

「私は、マスターに誘われて……」

「そういうことや」

「何で恵美の家を知ってるんだよ」

「僕と真澄さんと、瑞樹さんは高校の同級生やぞ。あっ、瑞樹さんはべっぴんさんのお袋さんや」

「知ってるよ」

「じゃあ、そういうことやんか」

「僕が聞きたいのは、何でここにいるかだよ」

マスターがにやりと笑い、ポケットから煙草を取り出して、それを吸った。

「少年の帰る場所を作りに来た」

そう言ったマスターの顔は、笑っているにも拘らず、昨日よりもずっと真剣だった。
< 164 / 206 >

この作品をシェア

pagetop