天体観測
出てきた人間が、あの男で本当によかった。もしあそこで、中年の人が出てきたならば、少しでも政治に興味を持っていたならば、「神目薫」という単語は通用しなかった。今、この社内にすら入っていない状況で、手の内は極力見せたくなかった。それが例え、何の意味も持たなかったとしてもだ。

男は数分後、二十代半ばぐらいの女性を引き連れて戻ってきた。

「社長が是非お会いになりたいと、そう申しております」

男と一緒に来た、女性が言った。

「ありがとうございます」

男は小さく「すいません」と、言ってきたが、僕は無視をして、振り返って歩いていく女性についていった。

社内は、外から見るよりずっと広かった。しかし、見た目と同様に、豪華絢爛とはほど遠かった。それはつまり、収賄は、あの一回しか行われなかった。しかも悪いことに、神目貞照に支払った報酬分、損をした可能性があるということなのだろうか。

「こちらでお待ちください」

女性は、あの男よりも業務的な声で言った。ドアには応接室と書かれている。

「今、社長は大事な商談中でして、もう暫らく時間をいただくことになります」

それが嘘だと、彼女の声が物語っていた。業務的な声には変わりない。けれど、その声が業務的であればあるほど、不純物がよく目立つ。

「わかりました」

僕は頷き、応接室のドアノブを回した。

応接室は、ここだけが社内とは別空間だと、主張しているようだった。無駄に大きなテーブルが置かれ、無駄に豪華なソファが置かれ、無駄に煌びやかな装飾が施されていた。ここは、神目家のリビングと、同じ匂いがした。
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