天体観測
「いやいや、すいませんね」

そう言って、黒縁の眼鏡をかけた作業服の男が入ってきた。僕はその男が社長だとわかるのに、十秒ぐらいかかった。

「少々お待ちください。神目様。それと、御幸くん、ちょっと」

二人は、ドアの前で一言か二言話をして、御幸さんが、再び応接室から出ていった。

社長は、入り口で会った男のように、僕を上から下まで見た。けれど、その目には男と違って、明らかな嫌疑の色があった。

「どうしましたか?」と、僕が聞く。

「いや……てっきり女の方だと思ってましたので」

「僕は男です」

「わかってます。で、今日はどういったご用件で」

「僕は大学で経営学を学んでいるんです」

「はあ」

「最近、この会社の業績は素晴らしいじゃないですか。ですので、そういった、のうはうを教えていただきたくて、伺わせていただきました」

男の顔に、一瞬、安堵の表情が浮かんだ。第一段階は、うまくいったと言っていいだろう。人間は危険な人物から、思いもよらない言葉をかけられると、簡単に気を許してしまう。そういう生き物なのだ。

「そうですか。そういうことなら任せてください」

案の定、男はそのあと三十分ほど、自分の経営理念を熱く語った。僕はその何の興味もない話に、時折り、「なるほど」や「素晴らしいですね」といった、適当な相槌を打っているだけでよかった。

重要なのはタイミングだ。いつ、本題を突きつけるか、それが難しい。

僕は横目で時計を見た。時刻はもうすぐ正午に差しかかろうとしている。マスターの言葉が正しいならば、すぐさま核心を突いて、帰らなければならない時間だった。
< 170 / 206 >

この作品をシェア

pagetop