天体観測
僕は、男の顔を見ながら、ゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、僕を警察に連れて行ってくれて、かまいません。あなたが、僕の言葉で、気分を害したと言うなら、警察に行きましょう。たしかに僕も、出すぎた真似をしたかもしれません」

男は腰を上げなかった。そのかわりに、青い顔で僕を見ていた。

「どうしたんですか?」

「け……警察に行くほどのことじゃないですな。私が許してしまえば、それで済む話ですから」

「違いますよ」

「え?」

「あなたが、警察に行きたくないだけだ」

男が、作業着のポケットから煙草を取り出して、僕を睨みながら、煙草に火をつけた。

「あなたも吸いますか?」と、男は僕に煙草を差し出した。僕は首を横にふった。

「でも、証拠がないんでしょう?」

その声に、諦めのような感情は、雑じっていなかった。

「ありませんよ」

「では、私を疑うのは筋違いじゃありませんか?」

「たしかに証拠はありません。けれど、証人ならいます」

ほう、と言いたげな顔で、男は僕を見る。僕は飾られているサッカーボールを取り上げて、言った。

「証人というのは他の誰でもなく、僕です」

男がまたにやりと笑い、眼鏡をはずした。

「あなたが証人?私は、あなたの戯言に付き合っているほど、暇じゃないんだ。薫さん」

「それなんですけど」

男が僕を、不思議そうな顔で見る。僕はサッカーボールを床に一回、バウンドさせて、言った。

「僕は、神目薫じゃありません」

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