天体観測
「十分か……」僕は大きなため息をつく。

「これで十分なんだとしたら……不十分でよかった。ほんの何日かの僕でよかった。正直つらいんだ。お前の親父さんのときも、神目薫のときも、今も」

「でも、お前はお前なりの大義名分があったやろ」

「大義名分……俺はただ、自分と恵美が笑っていれたらいい。そう思ってた。でも、いざ目の前にすると、これが終わったあと、本当に俺たちは笑っていられるのかなって」

「まあ、悪いのは俺やしな。そんな深く考えんでもいいことやろ」

「悪いのは……神目貞照だ」

「関係ない。逃げようとした、俺が悪い」

僕はどう答えていいのか、わからなかった。肯定も、否定も出来なかった。

「そのときな、俺自身、調子よかってん。自分で言うのも変な話やけど、台頭ってやつや。一年の夏の大会でレギュラーになって、いい気になってた。油断してたな」

僕は返事をしなかった。まだ、僕の番ではなかったから。

「そんな調子でいい気に自転車漕いでたら、ブラインドの曲がり角を曲がったときに、ドン……や。焦ったなあ。ホンマに、ピクリとも動かんかったからな。そうやな……俺の悪かったとこは、相手の無事をたしかめる前に、自分の保身のことを考えてもうたことやな。後は……気付いたら、部屋の布団の中やった」

村岡が真っ直ぐに、僕を見る。その表情が、その後はもうわかってるな、と言っていた。

「俺だってそうしたさ……きっと」無意味で、無情な言葉を、僕は放った。

けれど、村岡は笑った。卑屈な笑いでもなければ、偏屈な笑いでもない、普通の笑顔だった。

「お前さ、別人のようやな」

「かもしれない」

「個人的には、今の方がいいけどな」

「本人もそう思う。前の俺は、生きるには難しすぎた」

「でも……」

「でも?」

「前の足立の方が……こういうのには向いてるやろうな」

遠くで、悲鳴が聞こえた。その後で、「痴漢」というフレーズが、追ってきた。空を名残惜しそうに見ていた人々の視線が自然とそちらに向けられた。けれど、僕らは、お互いを見ていた。僕は村岡を、村岡は僕を。未知は、未知のままでよかった。

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