天体観測
そのとき、携帯が鳴った。ディスプレイには恵美と表示されている。僕は三コール目で電話をとった。

「今、何処におる?」

「もうHIROに来てる」

「何で先に行くんよ。司、車やろ?歩いて行かなあかんやん」

「父さんを送って行ったんだ。戻るのも面倒だったし、悪いと思ったけど一人で来た」

「まあいいわ。歩いていくから三十分くらいかかる」

電話は僕が何かを言う前に、切れた。

「あのべっぴんさん来るんか?」

マスターはいつのまにか僕の傍に立っていた。手には花瓶のようなものを持っている。

「盗み聞きは、いい趣味とは言えないよ」

「ここは僕の店ですよ。お客様」

マスターは、花瓶の中身をカップに注ぎ入れた。

「この水な、名水を、さらにろ過して出来た水なんや。自慢やないけど、うまい。それにキリマンジャロによく合うんや」

僕はマスター自慢のコーヒーを飲んでみた。たしかにうまい。少しコーヒー特有の甘味が強かったが、それほど気にならなかった。

「うまい」としか言えなかった。それ以上の言葉もそれ以下の言葉も、何の意味もなさない。

「このコーヒー、いくらで出すと思う?」

僕は頭の中でそろばんを弾き、値段を出してみた。その値段は僕自身が驚くほど高く、妥当だった。

「八百円かな」

マスターは勝利の笑みを浮かべて言った。

「残念。三百五十円でした」
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