カンボジアのコト
問題
カンボジアへ行くにあたり、
さらに深刻な問題は、時々体調を崩す、曾祖母。
曾祖母100歳。
体は限界だった。
いつ亡くなっても不思議はない。
時折、ぐったりしている曾祖母を前に、「親戚の方にご連絡ください…。」と病院の先生から言われ、
涙を流して、別れを惜しんでいると、後日、曾祖母は奇跡の復活をとげ、
あまつさえ、数日後には元気に歩きだしてしまう…なんて事が、何度かあった。
おかげで、病院から電話がかかってくると、「また?」という反応をしている頃の事だった。
つまり、いつ3度目の正直…(3度目は通り越した)がやってくるか分からなかった。
どんどん、支援団体へカンボジアへ行く許可をとる最終期限がせまってくる。
許可を取るためには、飛行機をおさえなければならなかった。
よし!腹に力を入れ、
キャンセル、早期帰国を視野にいれて、飛行機をおさえる電話をした。
希望日程などを伝えて、後日連絡を待つことにした。
飛行機の便の連絡が来る前に、曾祖母は亡くなった。
通夜の日、飛行機が第一希望通りになったと連絡がきた。
喪もあけて、何も問題のない状態で旅立てる状況が作られた。
私が初めてカンボジアへ行くと、聞いた時に、笑ってくれたのは、曾祖母だけだった。
そんな曾祖母が「行け!」と言っているようだった。
私は「行けたらいいな」から、「行こう!」と決心した。
こうして、細々と、色々なことを決めていった。
さらに深刻な問題は、時々体調を崩す、曾祖母。
曾祖母100歳。
体は限界だった。
いつ亡くなっても不思議はない。
時折、ぐったりしている曾祖母を前に、「親戚の方にご連絡ください…。」と病院の先生から言われ、
涙を流して、別れを惜しんでいると、後日、曾祖母は奇跡の復活をとげ、
あまつさえ、数日後には元気に歩きだしてしまう…なんて事が、何度かあった。
おかげで、病院から電話がかかってくると、「また?」という反応をしている頃の事だった。
つまり、いつ3度目の正直…(3度目は通り越した)がやってくるか分からなかった。
どんどん、支援団体へカンボジアへ行く許可をとる最終期限がせまってくる。
許可を取るためには、飛行機をおさえなければならなかった。
よし!腹に力を入れ、
キャンセル、早期帰国を視野にいれて、飛行機をおさえる電話をした。
希望日程などを伝えて、後日連絡を待つことにした。
飛行機の便の連絡が来る前に、曾祖母は亡くなった。
通夜の日、飛行機が第一希望通りになったと連絡がきた。
喪もあけて、何も問題のない状態で旅立てる状況が作られた。
私が初めてカンボジアへ行くと、聞いた時に、笑ってくれたのは、曾祖母だけだった。
そんな曾祖母が「行け!」と言っているようだった。
私は「行けたらいいな」から、「行こう!」と決心した。
こうして、細々と、色々なことを決めていった。