独:Der Alte würfelt nicht.
 
 
「君にほんの一言、公共の場で宣言してもらうだけで…私達は元の生活に戻れると言うのに。ほんの一年の辛抱が出来ない馬鹿息子が、ハーグリーヴスの後継者争いに関わろうなどと…」

「貴方の言うほんの一言は…今の私では到底言えないわ。心の整理がつかないし…何より、明確な証拠も無い。…私がレイが父親だなんて…まだ信じたくない」

「まだいい。パンドラの復旧の目処が経ってからでも遅くは無いからね。それまでは、うち馬鹿息子がお世話をかけると思うよ、適当に流しておいてくれ」

「えぇ、喜んで。取りあえず…此処から出ないと。カノン君の言う通りに付いてきてしまって、帰り方が分からないの。セキュリティーも強固で…権限がないと退出出来ないわ」


それは困ったね、と言いながら、胸元のポケットを探る際に翡翠の瞳が細められる。

一々ドキリとするような色気を放つ彼に、お茶の間の奥さまの気持ちが嫌というほど分かった。

一枚の名刺を取り出し、裏を向けてさらさらと何かを書き込んでいた。

名刺を受取ろうと右手を伸ばせば、大きな両手が重なって優しく握り込まれた。


「この名刺に書かれた彼女を頼って、使用人の仮パスポートを発行してもらいなさい。使用人服も貸して貰えば、誰にも怪しまれずに出られる筈だ。次は花を摘みにおいで。カノンには内緒で、私だけに会いに来て欲しい」

「…本当、親子共々女ったらしね。遺伝って怖いわ」

「…違うんだよ。君は本当にラティーシェに似ている。変な気を起しそうになるぐらいに、ね」

「もう。…最後に聞いてもいい?」


名刺の内容を確認してポケットにねじ込みながら、今まで燻っていた質問を投げかける。

私を見つめていると言うのに、どこか遠くへと意識を馳せている彼。


「どうして貴方は…私に何でも教えてくれるの?」


彼は薔薇の棘で傷ついたボロボロの手の平を差し伸べて、私の髪を掬いあげて口付けた。

やりすぎた行動に振り払おうと身を捩れば、力任せに腕を掴まれて抱き締められる。

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