独:Der Alte würfelt nicht.
――憂鬱な気分を抑えつつ、ホテルの駐車場に停車してある車に向かって歩く。
先ほどの緊張で流れた汗は、外気に冷やされ身体の体温すらも奪っていくようだ。
足早に車に向かっていると、運転手が車から降り、わざわざ手動でドアを開けてくれる。
それまでの過程で言葉など一言も交わさない。
「戻るわ。出して」
「はい」
私が告げると事務的に返事が返ってきた。
外の景色が流れるのを確認し、大きくため息をつきながら瞳を閉じる。
先ほどまで私の隣に座っていた男の体温が無くなった事に、心底安心してしまった。
長い髪を耳に掛け、血の気の失った指先を白くなるまで握り締めた。
もう片方の指を添え、包み込むようにぎゅうっと握る。
先ほどから耳に残る彼の言葉を、運転手に聞こえないほどの小さな声でつぶやいた。
「君が僕の所に来るのは時間の問題…ね」
そこから推測されることは、何らかの事件、及び“私に危害を加える何か”があるということ。
それが彼が起こすものなのか、他者が行うものなのかは定かではないが、彼の物言いは尋常ではなかった。
これが戦の前の静けさならば、願わくば少しでも続いて欲しいと思ってしまう。
生存本能が強い人間だ、誰だって境地に立たされれば死にたくないと願うだろう。
――もうやめよう、下らない。
どれだけ考えたとしても、相手の出方がわからない限り手の打ちようがない。
それならば敵の攻撃を甘んじて受けてやろう。
頭の中で解決が付いた時、横目に高い建物が見えているのに気づいた。