独:Der Alte würfelt nicht.
 
 
日傘が床に落ちると思えば、それは影になって二人の人間の姿を模る。

“私”の姿をした“ソレ”は、両手を胸の前で組んで、マザーグースを歌い続ける。

足元は小刻みなテンポを刻んで、時折体を揺らして華麗なターンも交えていた。

それに相反するような、不意に天井に現れた鋭利な光。

可愛らしくサテンリボンでデコレーションされたケーキナイフは、本来の目的を逸れるほどの怪しい輝きを放っている。

大きなケーキナイフが重力に引き寄せられるように、鋭利な先端が獲物を捕えた。


 ―――ゴポッ…ゴプゴポポッ…。


頭のつむじに先端がのめり込み、白目をむいて口から赤黒い液体を吐く自分の姿。

誰の手もかかっていないのに、ナイフが鈍い音を立てて頭蓋骨を割り開いていく。

ねとねととした、赤黒い糸を引く内容物は口元を押さえたくなるほどの臭いさえも感じた。

反射的に目で追ってしまうと、床に滴り落ちるはずの赤い塊が、輝く何かに変わっている。

七色に光る透明のビニールに包まれた色とりどりのキャンディが、転がる筈の無い床に散らばっている。


≪ボンジュール、ムシュー≫
〔ボンジュール。ムシュー、シャーナス〕

『ボンジュール、マドモアゼル達』


甲高いような、可愛らしい声がレイに向けられていた。

カランと軽い音がして、ケーキのナイフが床に落ちた事を教えてくれる。

恐る恐る声の方を向けば、二人の“少女”が手を組合い、頬を擦り合わせてお喋りを続けた。

肩口にかかる黄金色の髪は、甘いウェーブがかけられていて、黒いシルクハットをすっぽり被っている。

奥底を見せない大きな金の瞳の先には、濁った透明の瞳をもつ子供の姿。

瞳と同じ色素の薄い髪と黄金色の髪が混じり合い、二人は両手を組み合わせて唇を寄せ合う。


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