独:Der Alte würfelt nicht.
時間が時間だけに人通りの少ない校舎を通り抜け、アーチがかかった庭を突っ切り、正門への道を示すレンガの上を歩く。
ふと、木下に備え付けられているベンチの下に佇む青年の姿を瞳が捉えた。
彼も私を見つけたのか、立ち上がり、陸上競技選手顔負けのスピードでこちらに向かってくる。
「――待っていたよ、僕のアリス!うん、いい子だ。変な虫は付いてないみたいだね」
「…私の目の前にいるあなたが、悪い虫だという自覚はないわけ」
「あるわけないだろ?未来のフィアンセになんてことを言うんだい?」
「う、わ言い切った。婚約指輪なんて渡されても、質屋に入れてやるんだから」
「あ。受け取ってはくれるつもりなんだ~嬉しいな」
人の通りが少なくない大通りの真ん中で、非常識ながらも私の前に跪く。
膝が汚れることなど気にならないほど、彼の目は真剣だった。
私の左手を恭しく掬い上げられ、薬指に唇が触れた。
頬をなでる優しい風が彼の色素の薄いブラウンの髪を甘く揺らす。
背ける事のできない、深い翡翠の瞳に…私はあの時から囚われてしまっていることに気づく。
「…君は優しいから。きっと僕のことを選んでくれる。その時は、指輪も用意しておいてあげるよ」
「それ…本気で言ってるの?あはは、…新手の冗談なら…タ、タチ悪いわね」
「大好きだよアリス。君の運命は僕と結ばれることにある。だから…」
――君も早く、僕のことを好きになってよ。
赤面した顔を隠すように俯くと、それが彼には頷いたように見えたのかもしれない。
カノンは満足そうに微笑みかけ――私の左手の指一本一本に自分の指を絡ませた。