保身に走れ!
穂ノ香の唇からは「やめて」の、美少女にしか似合わない三文字が弱々しく零れてしまっていた。
噂みたいに何かされるのかと勘繰り、怖くて身を縮めてしまっていた。
野球部の張りのある掛け声と吹奏楽部の自主練習のふやけた音は仲良しで、
学内のどこか、風に乗せて忍び寄る。
沈黙が二人を包み、そうして何秒経ったのだろうか。
「え、……」
優しい少年に怯えた少女が緊迫感に襲われたのと、
いつの間にか現れた男が約二年間で初めて自発的に喋ったの声を聞いたのは同時だった。
「……しま、?」
帰る準備をした嶋が、忘れ物でもしたのか戻ってきていたようだった。
そして、彼は誰も居ないはずの廊下で床に倒れた女の子へ手を伸ばす男の子の図を目撃し、
「邪魔したな」と、小さく呟き、来た方へとまた足を運んだ。
そう、穂ノ香たちに対する彼の答えは、一つだったのだろう。
けれども、彼は顔色を変えることなく、ただ単調に背を向けただけで、
普通は何か嫌悪感を抱いたり興味本意で気にしたりするだろうに、
全くノーリアクションだったのだから、それは穂ノ香に失恋を知らせるには十分だった。
嶋は穂ノ香を意識していない。
嶋は穂ノ香に関心がない。
そんな事実に悲しむ暇はなかった。
なぜなら、好きな人に誤解されたなら、いち早く解かなくてはならないからだ。