揺れない瞳
「私には、両親が喧嘩をしたり、逆に、仲良く笑い合ってる姿さえ、記憶がないの。
物心がつく、小さな頃から両親は忙しくて、私に構う余裕がなかった。
だから、赤ちゃんの頃から、ずっと保育園で育てられていて、両親の記憶自体少ない。今だって、両親が私と一緒に過ごす事なんて、全くないし……。
母親なんて、思う存分絵を描きたいからって海外に行きっ放しだし」
長い間、私の心の奥にしまっている重い感情を、言葉にすると、忘れたいと思っていた感情すらよみがえってくるようで、悲しくなる。
忘れたいと思う感情を、忘れる事で、私はどうにか自分を保ちながら、生きていたといっても大げさではない。両親の人生から、排除されたという現実に押しつぶされないように、意識的に、忘れて生きてきた。
私が涙を流していた理由を央雅くんに伝えたあと、忘れた振りをしていた記憶を自分がちゃんと受け入れられるのかどうかが、怖い。
長い時間をかけて、どうにか一人で生きていける程度には強く保ってきた自分の心は、再び弱いものになるのかもしれない。
両親の人生から排除された現実を、再び耐えていかなければならないかもしれない。
「……大丈夫か?」
私の両手は、、膝の上でぎゅっと握りしめられて、震えている。
私のそんな様子を見かねた央雅くんが、私の前に膝をついて、私の震える手を包んでくれた。
「やっぱり、話せないか?……結乃に、無理を言ってるか?」
私を見上げ、寄り添ってくれる央雅くんの瞳は、いつもよりも不安げに揺れている。
私の為に、そんな様子を見せる央雅くんが、私に対してどういう感情を持っていてくれているのかはわからないけれど。
今、この瞬間は、私を気遣ってくれているとわかる。
その央雅くんの気遣いは、私の両手の震えと、気持ちを落ち着かせてくれた。
目の前にある央雅くんの顔ですら、恥ずかしい気持ちを抱えながらだけど、まっすぐに、見る事もできる。
やっぱり、格好いいな……。
央雅くんの顔を見ながら、この場にふさわしくない感情すら浮かぶくらい、落ち着いたかもしれない。