揺れない瞳
大切な人


「不破さん、俺、帰るよ」

「え?」

不意に聞こえた声が、父への不安定な感情に揺れていた私を現実へと呼び戻した。
振り返ると、既に帰ったと思っていた川原さんが立っていた。
戸部先生と私の間に漂う穏やかではない空気を気にしながら、小さく微笑んでいた。

「あの、帰ったんじゃなかったんですか?」

首をかしげながら、そう尋ねると、何か嬉しい事でもあったようににんまりと笑った川原さん。今日初めて見る明るく楽しげな笑顔に見えて戸惑った。

「このお店の内装が気に入ってさ、ついついコーヒー頼んだんだ。あのクリスマスツリーなんて、かなり俺好みで見入ってしまったよ。
ゲームの背景考える時の参考になりそうでわくわくする」

「はあ……」

子供のように瞳を輝かせながらツリーを見つめる川原さんは、本当に幸せそうだ。
デザインの才能がある事は、よくわかっていたけれど、それ以上にゲームの世界が大好きだという言葉は嘘じゃなかったんだと納得した。
心の底から大好きなゲーム業界に就職できるらしい川原さん。羨ましいな。

「結ちゃんの恋人?」

戸部先生がからかうように、私の顔を覗き込んできた。

「ち、違います。川原さんには恋人がいて、もうすぐ結婚もされるんです。
私に恋人なんて、そんなの……」

慌てて首を横に振って否定すると、そんな私がおかしいのか、戸部先生は楽しそうに笑いだした。戸部先生と恋愛の話なんて、これまでした事ないから、こんな時どういう顔をしていいのかわからなくて困る。

「不破さん、フリーなの?なら、俺の友達紹介しようか?
大学でも、結構不破さん人気あるんだよ。あまりコンパとか参加しないから接点持てないって残念がってる男何人か知ってるし。どう?」

「えっと……あの……そんな急に聞かれても困るし、紹介って言われても」

戸部先生に続いて、まるでからかうような川原さんの声に、あたふたと気持ちは焦って、どう答えていいやら困ってしまう。
恋愛経験皆無に等しい私は、ようやく最近恋らしき感情を持てるようになった程度。コンパやら紹介だの、慣れてないし興味もないから、困る。

「紹介なんて、しなくていいから」

そう、紹介なんて、してもらえなくてもいいんです……。

あれ?

「結乃には、俺がいるから紹介なんてしなくていい」

聞き覚えのある声にはっと体を向けると、不機嫌極まりない表情で、央雅君が立っていた。
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