揺れない瞳
その呟きを聞いたと同時に、部屋の襖の向こうからお店の人の声が届いた。
「ご注文、お決まりでしょうか?」
「あ、ああ、お願いするよ」
父がそう答えると、しばらくしてゆっくりと襖が開いた。
顔を見せた和服の女性は、50代半ばぐらいだろうか、切れ長の目が印象的な綺麗な人だった。
父と私が向かい合い、ただ事ではない雰囲気の中にいる様子に一瞬目を細めたけれど、何も言わず部屋に入ってきた。
「今日は可愛い女性とご一緒なんですね」
低い声からは、決して好意的な気持ちは感じられない。
笑顔のないその顔は、父さんを見たまま厳しい視線も送っている。
「可愛い……だろ?本当に、可愛いんだ」
女性から向けられる厳しい視線に気づかないのか、私を見つめてそう言う父さんの表情は、嬉しそうに崩れている。
「えっと、あ……かわいくないです……」
父さんからこうして甘い表情を見せられ、私を可愛いと他人に言ってくれている事に照れて、私は思わず俯いた。
これまで私の事を可愛いとかいい子だとか言ってくれる大人の人はいたけれど。
こうして父という存在を目の前にして、その人から言われるなんて初めてで、心はどんどん温かくなってくる。
無条件に私を誉めてくれる身内の言葉、愛情には恵まれなかった私には、単に『可愛い』と言ってもらえるだけで心は沸き立ち、どきどきが溢れる。
なんて単純で、なんて幸せな事なんだろう。
「俺にとっては、可愛いんだ。結乃がすごく可愛くてたまらない」
私の心にさらに入り込んでくる父さんからの照れ臭い言葉に、私は体中を熱くしたまま俯いて。動けなかった。
そして、くすくす笑う父の笑い声が聞こえた後、
「……で。愛子さんは、どうするんですか?」
不機嫌な気持ちを隠そうともしないような、女性の声が響いた。