揺れない瞳
「結婚……って、それって、戸部先生が……」

「は?戸部先生?……がどうしたの、突然」

不意に結乃の口から出た戸部先生という言葉に反応した。
結乃が育った施設をサポートしている弁護士の戸部先生は、昔から結乃を気にかけていて、今でも実の娘のように心を砕いてくれている。

そして、夏基さんのお父さんである戸部先生は、俺にとっては親しい身内の一人でもある。
でも、どうして戸部先生の名前を突然口にするんだ?

「戸部先生ね、私が本当の身内になるって……。
央雅くんと結婚すれば、自分は私とちゃんとした身内になるって。
嬉しそうに父さんに話したんだって」

「……身内」

「うん。央雅くんが、私の事を恋人だって戸部先生に言ってくれたから、それが戸部先生はとっても嬉しかったみたいで、父さんに自慢するように言ったんだって」

照れるように小さく笑って、結乃は顔を赤くした。
戸部先生を慕っている彼女にとって、そんな戸部先生の行動は、とても嬉しいものだったに違いない。

『身内』

それは、彼女が欲しくて欲しくて仕方がないものに違いない。

「そっか。じゃ、戸部先生は賛成してくれてるんだな」

「うん。父さんが悔しがるくらいに戸部先生は大賛成みたい。
央雅くん、戸部先生の四人目の息子って言われてるんでしょ?
気に入られてるんだね」

確かに。

夏基さんを含めて三人の息子を持つ戸部先生は、娘が欲しくて仕方なかったらしいけれど、その願いはかなわなかった。そして、息子達それぞれが結婚し、義理とはいえ娘が出来て以来、その娘たちを相当大切にしていると聞く。
そして、その娘の一人である芽依ちゃんの弟である俺の事も『四人目の息子』と言って可愛がってくれている。
俺と芽依ちゃんの間にある少し微妙な距離感を知っているせいか、特に気をつかってくれているようにも思えるけれど。

「ただでさえ私が結婚するなんて、父さんにとっては寂しい事なのに、相手が央雅くんという戸部先生の身内だと知って、悔しいっていうか、苦しそうだった」

自分の父親の様子を話している筈なのに。
苦しいのは結乃自身じゃないのかと思えるほどに、顔を歪めて唇をかみしめる結乃。
どんな理由であれ、結乃のそんな表情を見たくないな、とつらくなる。


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