Liberty〜天使の微笑み【完】

第9話 戻された時間


 『なんで着ないの!? 似合ってるんだから着なさい!』

 嫌だ……だって、チクチクするのに。
 用意されたのは、フリルが付いた可愛らしいワンピースと靴下。けれど、フリルの部分が肌に刺さるような感覚があり、着ることを拒絶すると、母は更に機嫌を悪くした。

 『ほら、ハヤク着なさい! ママに逆らうの!?』

 髪を鷲掴みにされ、無理やり立たされる。
 こんなことをされるぐらいなら……もう、大人しく服を着た方がましだ。

 『ちゃんと笑うのよ?――なんなのその顔! ちゃんとしなさい!!』

 初めて会った人と、並んで写真を撮るよう言われ、私は思うように笑えないでいた。知らないおじさんに抱えられ、しかも、元々写真が苦手ということもあって、上手く笑えない私に、母をとてもはらを立てていた。



 私の意思なんて……関係ない。



 従わなければ、叩かれ、髪を掴まれ、罵倒されて。



 ――そこに【私】という個人はなく。
 母が必要とする、母のために動いてくれる者。



 ――意思のない【人形】が必要とされ。
 空っぽの、がらんどうであることが求められた。



 もう……いや、だ。



 こんな思いをするぐらいなら、何も、何も感じたくない――!



 嘘で塗り固められた笑顔をすることも。
 本音を押し殺して笑顔を振りまくのも。



 目の前に展開される映像は、どれも嫌なものばかり。脳に直接叩き込まれるようで、とても不快で堪らない。
 頭を抱え、必死にその場から逃げて……どうにもならない、絶望にも似た虚無感が、私を支配していった。

 ―――――――――――…
 ――――――…
 ―――…

 誰かが、私を呼んだような気がする。
 その声に導かれるように、そこへ向って行く。
 ゆっくり目を開けると……そこには、心配そうに顔を覗き込む数人の顔が目に入った。



 ――誰、だろう?



 知らない顔ぶれに困惑していると、一人の女性が慌ててどこかへ行く。やって来た人物を見て、ようやく私は、ここが病院なんだということを理解した。

 「自分の名前が……分かりますか?」

 当たり前のことを聞かれ、私は少し間を置いてから、ゆっくりと言葉を発する。

 「ぃ……――?」

 けれど、口から出たはずの言葉は、その場に響くことはなくて。
 何度か試みるも、まるで、言葉なんて最初から知らないかのように。
 私の口から、音が発せられることはなかった。
 っ……?!
 体を動かそうとした途端、全身に、痛みが走る。思うように動かせなくて、どうして自分が今、こんな状態なのかが理解出来ない。

 「声が、出せないのですか?」

 男の先生は、心配そうに問いかける。
 それに私は、言葉の代わりになんとか頷き答えた。それからの質問も、私は首を縦か横にふり答えていった。

 「自分がどうしてここにいるか、分かりますか?」

 ……分からない。
 思い出そうとすれば、頭に痛みが走ってしまう。

 「では、自分の名前はどうですか?」

 それは、ちゃんと分かる。
 市ノ瀬紅葉……それが自分の名前だということは、ちゃんと理解していた。

 「今日、学校で何があったのか分かりますか?」

 学校……何が、あったんだっけ?
 首を傾げると、先生は困ったような表情を浮かべた。

 「幸い頭は打っていないので、一時的なものだと思いますが……しばらくは、安静にしていて下さいね」

 やさしく声をかけると、先生は看護師さんを連れ、外へと出て行った。
 声……ちゃんと、出せるのかなぁ。
 一時的だと言われたものの、それが確実なわけではない。もしかしたらという思いが、心を不安にさせていく。
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