Liberty〜天使の微笑み【完】
「……そこまでしか、分からない?」
頷くと、橘くんは小さく、ははっと笑いをもらす。
「……ま、仕方ないか」
「結局、どこまで覚えてるわけ?」
未だ理由の分からない美緒に、私は携帯に文字を打ち込んで見せた。納得した美緒は、再び橘くんをからかうように、積極的ねぇ~? と、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
詳しいことは、先生から口止めされているからと聞けなかったけど、それでも、二人とこうして話せたことは、すごく充実した時間だった。
「――失礼します」
ドアをノックすると、声の主は部屋へとやって来て、私を見るなり、頭を下げる。
誰だろう……看護師さん、じゃあないし。
現れたのは、黒のスーツを着た女性二人。
髪を一つに縛り、スッキリとした印象を受ける。
「私たちは――警察の者です」
胸元から手帳のような物を見せると、女性は思いもよらない言葉を口にした。
「お話を窺いたいのですが……よろしいですか?」
警察、って……。
どうしてそんな人が来るのか分からなくて、私は視線を泳がせた。
戸惑っていることを察したのか、代わりに橘くんが、女性に話しかける。
「彼女……何も覚えてませんよ。それに、その話をすることは、まだ先生が許可していないと思うんですけど」
「そうは言われましても、こちらも一応、確認をしなければなりませんので」
一体、何の話をしてるの?
不安だけが湧いてきて、俯いた私は、ぎゅっとシーツを掴んでいた。
「それで、事件当日のことなんですが――」
「だから、まだ紅葉は知らないんです。そっとしておいてあげて下さいよ!」
美緒にしては珍しく怒り、女性の背中を押しながら、部屋の外へ行くよう促す。そしてそのまま、部屋から女性を連れ出してくれた。
それにほっとしていると、右手にそっと、手が添えられる。
「ごめんな……何も、教えられなくて」
痛々しい表情を浮かべる姿に、私まで胸が詰まってしまう。
話せないのは、橘くんのせいじゃないよ……。
「ち、が……わ、る…ぁ、い」
橘くんが悪いんじゃない。そう伝えたいのに、精一杯声を出しても、これが限界だった。
「だから、ムリするなって。――ゆっくりでいいから」
もう片方の手で、そっと、私の左頬に触れる。
触れられた部分が、どんどん熱を帯びていくように感じて……恥ずかしくなった私は、思わず顔を背けた。
ダメ、だ……ずっと見てたら、本当に。
自分がおかしくなりそうなほど、胸が張り裂けそうで。
隣にいるだけで、すごくどきどきとしてしまう自分が、不思議でたまらない。
「ホント、ゆっくりでいいから。――市ノ瀬」
ドキッとするような声がしたと同時、振り向けば、そこには橘くんの顔が間近にあって……。
「心配すること、ないから。それだけは……言えるよ」
そう言って、ふっと笑みを見せたと思った途端。
えっ……な、に?
それはあまりに突然で、すぐに何があったのか、反応することが出来なくて。
額に、何かが触れた、ということだけを認識するので、精一杯だった。
今の……唇、だよね?
まだ実感が湧かなくて、目の前にある橘くんの瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「……イヤ、だった?」
顔を離すと、申し訳なさそうに訊ねる声。
それに私は、顔を背けながらも、首を横に振って答えた。
嫌だなんて……思わない。
むしろ、うれしいとか、もっと触れていたいとか……そんな気持ちが、どんどん高まっていく。
「――もう、あの人たち帰ったよ」
明るく言う声に顔を上げると、美緒は先生と共に部屋に入って来た。
「少し市ノ瀬さんにお話をしたいのですが、いいですか?」
さっきの人たちについて言われるのかと思い、私は頷いてそれに答えた。
それを見て、橘くんは立ち上がる。
あ……帰っちゃうの、かな。
途端、妙に淋しさが込み上げてきて。
「――市ノ瀬?」
その理由を理解するよりも早く、体が、先に反応する。
「……か、ぇ…?」
服の裾をぎゅっと掴み、橘くんを見つめていた。