Liberty〜天使の微笑み【完】
「聞いてよ。ここのかんごふさん、おかしいのよ? 母親なのに会えないとか……バカなこと言うの」
看護師さん、ダメって言ったの?
でも……だったらどうして、ここにいるの?
「頭にキタから、ママ髪の毛切って、シンセキって言ってようやく入れてもらったのよ?」
ホント、大変だったわぁと、母は笑った。
子どもに会うために、そこまでする覚悟はすごいと思うけど……私には、そんなことをされても喜べない。むしろ髪を切って、名前を偽ってまで来ることが、恐怖にすら感じていた。
「それでねぇ……クレハに、見てほしいものがあるの」
カバンからA4サイズの物を取り出すと、楽しそうに母は笑みを浮かべる。
白に少し金粉が付いた和紙のような厚紙に、私はあのことが頭を過り、嫌な予感がしていた。
『クレハには、ママの国の人が合うのよ』
まさか、本当にお見合いなんて……。
見せられたのは、男性の写真。ほりが深い顔立ちに、少し色黒のそれは、間違いなく、母と同じ国の人だった。
「どう? カッコイイでしょう?」
片手で写真を見せてくると思えば、もう片方の手は、ガッチリと私の右手を掴んでいて。強制的に、写真を見なければならない状況だった。
「この人、向こうでシャチョウをしてるのよ? ふつうのじゃあなくて、リゾートのところ。いいでしょう?」
そりゃあ、母にとってはいいだろうけど。
私はその人に、何の魅力も感じない。知らない人にそこまで思うのは失礼だと分かっているけど、私には、この人とこの先一緒になるという想像が出来ない。
「あら、何も答えなんて……ハズカシイの?」
「…………」
何も、答えたくない。
答えなければ叩かれるかもしれないと考えが過るものの、さすがに、病院でそこまではしないだろうと思うから。
「いい。クレハは、この人と会うのよ?」
分かったの? と、少し低くなる声に怯えてしまい、私は反射的に、首を縦に振り頷いていた。
満足したのか、母は自分の膝の上に写真を置くと、その手を私の頬へと移動させる。
「そうよ、ママの言うとおりにすればいいの。――いうこときかないから、こうやってビョーインにいるんだから」
そんな、こと……それとこれとは、関係ないのに。
触れられた部分が、気持ち悪い。
頭には今までのことがフラッシュバックし、眩暈にすら襲われる。
せめて、ナースコールを押せればと思い右手を引いてみるものの、まだ力が完全に戻っていないせいか、ガッチリと掴まれた腕からは、逃れることが出来ないでいた。
「ママが、シアワセにしてあげるからね? クレハは、いうとおりにしてればいいのよ」
楽しげにふふっと笑みをこぼし、母は私に近付くと。
「っ……!」
私の額に、唇を落とした。
途端、気持ち悪いという感情を通り越し……とても、虚しい感覚が湧く。
お、なじ――。
同じ場所に、さ、れた。
橘くんと同じ場所に触れられたのが、酷く悲しくて……目からは、涙が溢れ出していた。
「あら、泣くほどうれしかったの? だったら、もっとしてあげるわよ?」
再び、笑顔で近付く母。
この時の笑顔が、私には悪魔のように思えた。
うれしいはずない。
こんなの……全然うれしくない!
怒りにも似た感情が湧き出し、振り払うような仕草を見せ、母から離れようとする。
少しでも離れたいと、全身が、母という存在を拒絶していた。
やめて……もう、触らないで!
「……ぃや!」
拒絶の言葉を口にすると、母は一瞬、驚いたような表情を見せる。けれどすぐに、それは怒りの表情へと変わり――いつも私を叩いていた時と、同じ表情を見せた。
「なんで……なんでママに逆らうの!?」
「っ……?!」
膝に置いていた厚紙の本を持ち、それを何度も、私へと叩きつける。
「クレハは、シアワセになりたくないの!? お金があれば、シアワセになれるのに!」
思わず目を閉じ、咄嗟に両手でかばい顔への直撃は免れた。けれど母は、尚も叩きつけることをやめようとはしない。
「コドモはね、親の言うことを聞くものなの! 分からないの!?」
まるで、自分もそうしてきたのだと言わんばかりの口調。
でも、もし仮にそうだったとしても、私までそんなふうに従いたくない。私と母は、同じ人間じゃないんだから。
「ほら、何か言いなさい!」
「っ……!」
ここで何か言っても、火に油を注ぐようなもの。
けれど、分かってはいても、これ以上黙っているのは出来なかった。
「ぃ、やっ……い、や!」
「まだ逆らうの!? ホント、あなたは汚い日本人と同じよ!!」
私が……汚い?
違う、そんなのは偏見に過ぎない。
確かに、その国独自のことはある。けど、その国の人だから悪いとか、いいとかは別物なのに。