Liberty〜天使の微笑み【完】
「小さいですが、こぶがありますね」
そう言うと、先生はナースコールを押し、氷を持って来るようにと伝える。
ベッドを少し起こし、楽な体勢になれるようにすると、ちょうど看護師さんが、氷を持って来てくれた。それを受け取ると、先生は看護師さんと共に、部屋から出て行く。
「…………」
「…………」
さっきまで荒れていた空気が、しんと静まりかえり。
あんなにくっついていたのに、今はお互い、会話はおろか、何一つ動きを見せない。
妙にくすぐったいような、恥らうような雰囲気が、二人の間に漂っていた。
どうしようかと考えていると、手にしていた氷袋が、ぽろっと手の平から落ちる。
途端、今更のように声が出せたことを思い出し、何か話をしてみようと思った。
でも、いざ何か言おうと思うと、なんだか恥ずかしくて……毛布の中で、両手を擦り合わせていた。
せっかく、声が出せたんだから――初めの言葉は、これがいい。
そんなたいしたことを言う訳でもないのに、緊張は、更に高まっていき。
喉まで出かかった言葉が、消えてしまいそうで。何度かそれを繰り返し、ようやく決心がついた私は、ゆっくりと、口から音を発した。
「――ぁり、が、とっ」
小さく紡がれた言葉に、橘くんは、はっとしたような表情を浮かべる。
「ま、ぉって…くっ、れて。――あり、がとう」
途端、橘くんの目が、赤みを帯びる。
どうしたのかと心配していると、体が突然、前へと傾く。
「……すっげーうれしい」
ぎゅっと腕に力が入り、私は再び、抱きしめられているのだと理解した。
「そんな姿見たら……ガマン出来ないって」
「……が、まん?」
何に耐えているのかが分からず、疑問の声をもらす。すると橘くんは、腕の力を緩め、両手を私の頬へと移動させる。
「イヤなら、イヤって言って」
こつんと、再びくっつけられる額。
徐々に顔が近付く様子に、考えられることは、一つしかなくて。
「じゃないと――肯定したって、思うよ?」
ギリギリのところで、触れることのない唇。
瞳は真っ直ぐ、真剣な眼差しを向け。
私から紡がれる言葉を、今か今かと待っていた。
「…………」
「答えて……くれないの?」
嫌じゃない、けど。
さっきよりも、言葉が喉につっかえて。
橘くんは、どうしてこんなことをしているのか。考えれば考えるほど、言葉が出てくるのが難して。からかわれているんじゃないかと、そんな不安が湧いてきてしまう。
「…………」
「――肯定、したね」
私が言葉を発するよりも先に、もう待てないと言わんばかりに言葉を告げると。
「――――!」
やわらかな感触が、唇に広がる。
これがキスだと理解するのに、そう時間はかからなくて。
触れている間、心臓は大きく脈打ち、その鼓動を強くする。
壊れ物を扱うような、そっと触れるだけのやさしいキスに、唇が離されてからも、私の心臓は大きく高鳴り続けた。
……今、橘くんと。
熱い視線を向ける橘くんの目は、これが冗談でしたことだとは思えない眼差しをしていて――私のことが、好きだからしたのかという考えが、頭を埋め尽くす。
「自分でデートの時にって言ったけど……もう、ムリ」
辛いような、どこか少し苦しい表情で、橘くんは言葉を続ける。
「市ノ瀬が忘れても、オレ、何度でも言うから」
紡がれようとしている言葉が、なんだか分かるような気がして。
今のこの状態が、妙に懐かしく感じられた。
似たようなこと……あったの、かな?
記憶を辿っていくと、以前よりもすんなりと、頭に知らないことが流れてくる。
一緒に学園祭を回ったこと。
そして、橘くんの作品が壊されたことも、ショーのことも。
だから、これから言おうとしていることは……きっと、あの時の再現だ。
「これからの時間……恋人として、オレにくれない?」
途端、私の目からは涙がゆっくりと溢れ出た。
今の言葉がうれしいのはもちろん、ちゃんと、あの時のことを思い出せたことがうれしかったから。
「ははっ、あの時と同じだな。――返事、聞かせてくれる?」
「っ……き、まっ、て」
答えなんて、決まってる。
あの時と変わらず、私の答えは、橘くんと同じ。
ただ一つ違うのは……あの時言えなかった言葉を、これから伝えること。
「ぁた、し、も……す、き。――た、ち、ばなっ?!」
まだ言えていないというのに、私の言葉は遮られ――再び、唇が触れていた。
今度のは、触れるだけのやさしいキスではなく。
息をも飲み込むような、少し荒々しいキス。
激しいその行為に、私は思わず、橘くんの胸元を両手でぎゅっと握っていた。
「……っんん」
ようやく離されると、うまく息が吸えなかった私は、肩で大きく息をしていた。
先程のキスよりも、余韻が強く残っていて。
私は、まともに顔を見ることが出来ず、俯いてしまっていた。
「ごめん……歯止めが、利かなくって」
ぽつり、小さく発せられた言葉。
自分でもここまでしてしまったことが意外だったのか、橘くんの声は、どこか恥ずかしさを含んでいる。
「きに、し……ぁい、で。――こ、こいび、と、ぁら……ふ、つぅ」
「あぁ~もう。そんなカワイイこと言ったら……また、したくなるだろう?」
ぎゅっと体を抱き寄せ、耳元で囁かれる言葉。
こんなに近くにいるのに、今の私はとても贅沢だ。
もっともっと、こうして触れていたいと思ってしまうのだから。
「ってか、初キスが病院とか、ムードなさ過ぎだった。――ホント、ごめん!」
「き、にっ、しぁい、で。――ぅれ、しい、か、ら」
そう、だ……ちゃんと、言わないと。
思い出せたことを伝えようと、軽く深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから、私はゆっくりと言葉を発した。
「あ、のね……お、ぼえてぇ、るよ?」
「覚えてるって……学園祭の、こと?」
頷くと、橘くんは抱きしめる腕に力を込めた。
「よかった。――ホントに、よかった」
「ごめ、んね? たくっさ、しんぱぃ、かけ、て」
「気にしなくていいって。――もう、いいから」
そう言って、視線をぶつける橘くん。
しばらくお互い無言だったものの、どちらともなく惹かれあい……そっと、唇を重ねた。