Liberty〜天使の微笑み【完】
「そんなの当たり前。――市ノ瀬には、手出しさせない」
そう言って、橘くんはそっと肩を抱き寄せる。
無言で見つめあう二人には、もう、それ以上言葉を交わす必要はないんじゃないかと思えるほど。
――静かに、やわらかい時間だけが流れていった。
「言いたいこと、言えたの?」
ロビーのソファーで休んでいると、橘くんはそんな質問をする。
「うん……思ったより、話せたと思う」
謝ってくれたことは意外だったけど、きちんと話せたことに、胸がなんだかすぅーっとしていた。
「けど……ホントに、アレでよかったの?」
「いいの。私はもう、本当に大丈夫だから」
未だ心配する橘くん。
そりゃあ、心配するのも無理はないだろうけど。
橘くんが心配しているのは……私が、佐々木さんの減刑を望んだこと。
「オレやかあさんに、気とか使わなくてよかったんだよ? 許せないなら、法に基づいてってことも出来たのに……」
「本当に、気を使ってないから。――だって、きっと今の佐々木さんなら、大丈夫だって思ったから」
信じてしまう自分は、愚かなのかもしれない。
けれど、それでも私は、あの言葉が偽りだなんて思えなかったから。
「同じ間違いを、しないならいいの。――それにちゃんと、橘くんに謝ってくれたから」
そこが、ずっと気になっていた。
復讐や恨みだけで、橘くんと仲良くしていたことが許せなくて。今日会いに来たのだって、ほとんどがそのためと言ってもいいほどだった。
「……ありがとう」
そっと、髪の毛にキスをされる。
少し顔を赤らめていると、そろそろ帰ろうということになり、私たちは、家路へと向うことにした。
◇◆◇◆◇
家に着くと、私はすぐに帰ろうとする橘くんを引き留めていた。この後特に用事がないことを確認し、私はあることをしようとしていた。
「オレが……入っても、いいの?」
ドアの前に立つなり、不安そうな表情で言う橘くん。
祖父母の反応が気になるらしく、入るのを躊躇していた。
「大丈夫だよ。今、二人ともいないし。――夜まで、帰らないから」
そう言って、私は中へと橘くんを招き入れる。
いつもと雰囲気が違うと察したのか、橘くんは小さく、お邪魔しますと言ってから、玄関に足を踏み入れた。
私は自分の部屋へ向い、ドアの前へと立つと、橘くんの方を向く。
「どうしても、一番に見せたい物が、あって……」
不思議そうな表情を浮べる橘くんに、私はそれ以上は何も言わず――静かに、ドアを開けた。
「――これ、って」
「うん。あの時に見た、あの子」
目に前に置かれているのは、私が描き上げた絵。
イーゼルに立てかけられたそれは、私たちが初めてデートした日に見た、あのシャチが描かれている。
「今まで、生き物がまともに描けなかったけど……橘くんのおかげで、描こうって、思えたから」
一緒にいるのが楽しくて、うれしくて。
心があんなに躍った日は、なかったんじゃないかって思う。
「そっか。――ようやく、描けたんだ」
やわらかな表情で絵を見ながら、橘くんは言う。
「なら、いつか人が描けるのも近いかもな」
「私も、出来ると思う。――橘くんが、いてくれるなら」
そっと、橘くんの左手に触れる。
一瞬、驚いた表情を見せた橘くんだったが、すぐにやわらかな笑みを向けてくれた。
「きっと、描けると思う。――ありがとう」
もう一度、描く意欲をくれたこと。
私を、好きになってくれたこと。
そして、守ってくれたことに……今の自分に出来る、一番の笑顔を向けた。
「――表情、が」
つながれていない右手で、橘くんはそっと、私の頬に触れる。
少しは、笑えているといいけど……。
不安はあったものの、橘くんの驚きの表情を見れば、少しは、きちんと笑えているのだということが分かる。
「――やっぱ、市ノ瀬には笑顔が似合うよ」
囁くように呟き、ふわりと体を抱きしめられる。
「少しは……笑えてた、かな?」
様子を窺うように、胸に埋められたまま、問いかけてみる。すると、くすっと笑いをもらしたあと、ゆっくりと、橘くんは言葉を発した。