遙かなる三増合戦
私の伯父さんの執筆した書物による家系の年表から、かつて母方の姓は井上氏に由来するものだという。
そう、井上氏の氏祖こそが、清和源氏である源頼季が、長久年間(1040~1044年)に、子息満実(光実)とともに高井郡井上に来て住み、地名をとり、姓を井上と称したといわれている。
その満実の時代になって、北信濃で活躍し、勢力を急速に拡大した。
彼以後数代の間に、十五の氏族を高井・水内郡下に出しており、その代表的なものに四つの氏がある。
その一つが、私の母方の姓なのである。
天喜四年(1056)頃、井上氏は四つの氏族を分出したという。
そして、『源姓井上氏系図』では、クワトロ家(実際は母方の姓)の前身である姓の氏祖は家満と記されている。
それは、他にも『河東小島町史』に記されているとか。
そう、井上氏の氏祖こそが、清和源氏である源頼季が、長久年間(1040~1044年)に、子息満実(光実)とともに高井郡井上に来て住み、地名をとり、姓を井上と称したといわれている。
その満実の時代になって、北信濃で活躍し、勢力を急速に拡大した。
彼以後数代の間に、十五の氏族を高井・水内郡下に出しており、その代表的なものに四つの氏がある。
その一つが、私の母方の姓なのである。
天喜四年(1056)頃、井上氏は四つの氏族を分出したという。
そして、『源姓井上氏系図』では、クワトロ家(実際は母方の姓)の前身である姓の氏祖は家満と記されている。
それは、他にも『河東小島町史』に記されているとか。