遙かなる三増合戦
だから、人生とは、挑戦していくことしかできない。
「守りに入る」
とは言うけれど、本当に守って守って守り抜けるような場所に立つ者など、果たしているのだろうか。
やはり、かつての狩猟採取の旧石器時代の如く、人とは、常に危険と隣り合わせで、危険を顧みず狩猟することでしか幸せなど手にできないのではないだろうか。
そう思うと、昨今の「草食」など以ての外と言える。
闘い、勝ち抜いてこそ生きる人生。
広義の意味で、生きるということは、まさにそれではないのだろうか。

私だって、学校での指導にあっては、
「人にやさしく、思いやりをもって、誰とでも仲良く、助け合い、元気に楽しく過ごそう」
といったことを口にする。
それはそれで、心底、嘘偽り無く、本当にそう思う(まあ社会は違うと痛感している)。
子どもたちにとっては、それで良い。
それは、基準でなく規準を学ぶことだ。
今、子どもたちには、心を荒ます理由などない。
その当たり前のことを体得し、その上の段階へと向かう。
その中で、根底に必要な道徳的倫理を規準に、自分の培ってきた力や知恵、得てきた技術や知識を存分に活用し、新たな世界に挑戦していくのだ。
社会に出るということは、それぞれのフィールドで闘うことだ。
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