幸せの滑走路
友達とは言うと
居ないに近い。
入学式のすぐ後に母が死んでしまったため学校に行きだしたのは5月ごろからだった。
その為私が通いだした頃にはグループがはっきり別れていた。
私は特別明るい方でも無いし人見知りがちでグループに入る勇気も沸かなかった。
だから未だに単独行動だった。
でも自由だしこのままでもいいんだ。
私はいつも言い聞かせていた。
もう淋しいのも慣れっこだった。
だから川井に話し掛けられたことが嬉しかった。でもそれは助け船ではなく通り掛かりの渡り船だった。
一時母の部屋で泣いた後私は部屋へ戻り、お風呂に入って何もせずに布団へ入った。