失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】



僕はもう続けるしかなかった

言ってしまいたかったとも言える


「あのとき…僕が手首を切ったのは

ただひとつ…"兄貴が去るなら僕に

は生きてる意味がない…だから死ぬ

よ"…ってこと…それは僕が死のう

としていたわけでは決してない…そ

れは『死』を意味することを兄にわ

かって欲しかった…衝動的な絶望感

もあった…だが僕は兄を失いたくな

かった…だからあれは捨て身の抗議

だったんだ…死のうと思ったわけじ

ゃない…僕は兄貴を死で脅迫した

でも…兄貴はそれを自分の手でカミ

ソリを握って止めた…そして僕と別

れると決めたことを守り通した…」

長く話過ぎたのか

少し疲れを感じた

喉が渇いて声もかすれていた

「水…もらえる?」

「あ…ああ」

彼はワゴンの吸い口を取り

両手の使えない僕の口に

入れてくれた

「ありがと…」

「…疲れたか?」

一気に吸い口の水を飲み干し

彼に礼を言うと

彼は少し詰まりながら

僕の身体の調子を聞いてくれた

僕は黙ってうなずいた

「あの傷のことは分かった…去って

行く者を振り向かせるためのパフォ

ーマンスか…だが君の兄さんはそれ

に応じなかった…作戦失敗のあと君

と兄さんはどうしたんだ?」

僕は手首を切ったあと

なにをしたのか

記憶が甦る

あのあと

予期しないことが起きたんだ


「…不意に…電話が鳴った…病院か

ら…兄貴の親父が吐血して危篤だと

連絡が入った…僕たちは傷口をハン

カチで縛ってそのまま病院に急行し

た…その日…彼…亡くなったんだ」


彼は下を向きため息をついた

「ヤブ蛇だったな…君の忠告を聞い

ておけばよかった…まるで蛇の大群

に襲われたカエルみたいな気分だ」

「ヤブ…蛇って?」

「もういい」

彼はその質問に答えてくれなかった





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