失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
それは頭の中が痺れるようなキスで
そう…まるで…砂漠の水
あのときもそうだった
最後のとき
車の中の刹那の抱擁は
砂漠の水のようだと
僕は思った
彼のキスは渇きを癒す
なぜだろう?
身も心も溶けていくみたいに
「…んっ」
思わず吐息が漏れる
僕の唇を軽くなぶりながら
彼は話し続けた
「君が死ななくて良かった…あの男
の気持ちが良くわかる…だがなんの
ために君が自傷したのか…私のこと
をどう思っているのか…それを知る
まではひねくれた気持ちが開かなか
った…」
彼はもう一度深く口づけた
「だがそれで今はいい…とりあえず
私が大人になろう…君に愛されてる
なら…多少は耐えられる…たとえそ
れが…二番手でもね…大人になると
いうのは厳しい選択なんだな…我な
がら…損な役回りだ…だが君のため
なら…なぜか我慢しようと思う…私
も焼きが回ったもんだ」
涙を彼の唇でぬぐわれ
低い囁きで耳が痺れる
僕は痛みで動けない身体で悶えた
だんだん激しくなるキスの中で
彼がうわずった声で僕に求めた
「もう一度…言ってくれ…私が好き
だと…」
一度も聞いたことのない
あまりにも無防備な彼の声
こんなに傷ついていて
こんなに飢えていて…
そんなあなたに僕は約束すら
出来ないのに
「好き…だよ…あの日から…別れた
日から…ずっと…僕は…ズルいんだ
でも兄貴の他に…好きになった人は
…あなただけだよ…」
彼は唇を離し僕の目を見た
「本当か…」
僕は彼の目を見ながら
黙ってうなずいた