失われた物語 −時の扉− 《後編》【小説】
「わかっていたんだな…」
「うん…兄貴の名前と兄貴の親父さ
んの名前を間違えて呼んだって…そ
れでわかったって」
彼は目を閉じた
「死ぬ前にもう一度…彼に逢いたか
った…そう悔やんでばかりいた」
彼は力なくフッと笑った
「…そうしたら死んだ恋人が甦った
だが…それはやはり…幻だった…そ
れでも悔いは消えたんだ…君の兄さ
んのおかげだ…兄さんは亡くなった
彼より…優しかったよ…だが君の兄
さんにとっても私は君の身代わりだ
った」
「兄貴はそれを後悔していた…あなた
にしてはいけないことをしたって」
「君たち兄弟はキチガイじみたお人
好しだ…私が何をしたか忘れてる」
彼は目を上げた
「そんな君たちに知らないうちに幸
せを祈られていたのか…恐るべき呪
縛だな…いま私は感情に振り回され
て苦痛に満ちている…だが事故で死
にかける前より私は自分を幸せじゃ
ないかとさえ思う」
境内に風が吹いてくる
彼の黒髪がなびいて額にかかる
風の中で無防備に立つ彼は
ドキッとするほど美しかった